『安全第一、安心は二番目であるべき』

[2016年12月11日日曜日]

 このブログでは食品のリスク情報とその双方向による伝え方(リスクコミュニケーション)について毎回議論しているが、今月は「食の安全」と「食の安心」の違いについて明確な切り分けができていない社会問題が多いので、いまさらながら「食の安全と安心を科学する会(Science of Food Safety and Security)」として、詳しく解説してみたい。

 最近の企業広告や行政・各種団体の広報ページに、「安心・安全な商品をお届けします」、「安心・安全な社会を目指します」などという文言をよく見かけるが、筆者はその度に眉をひそめている。なぜ「安全」よりも「安心」を先に表記するのか。市民/消費者/顧客の「安心」を大切にする組織であることを強調したいのだろうが、「安全」が二番目であることに抵抗感を覚えるのは筆者だけだろうか。

 たとえば、「このマンションは精密な耐震構造設計による建築物で、想定される南海トラフ地震にも十分耐えられますのでご安心ください」というリスク管理情報によって契約した顧客が、そのマンションにおいて強盗事件にあって危害を被った、というようなケースだ。マンションの住人たちの「安心」は担保されていたが、「安全」に対するマンション側の警備が実は甘かった・・とすると、このマンション管理会社の姿勢=顧客の「安心」を優先し「安全」を疎かにしたことは非難されてしかるべきだろう。

 「安全」はリスクが社会/市民の許容範囲内に抑えられた客観的状態をいうのに対して、「安心」は市民/消費者/顧客の主観(リスクイメージ)に依存しており、リスクが無視できるイメージのときには「安心」、リスクが不快感をもって顕在化したイメージのときには「不安」となる。そう考えると、企業が顧客にその商品/サービスを買ってもらうためには、「安全」だけでなく「安心」がなければ商品選択にいたらないので、どうしても「安心」を強調して売りたくなる気持ちはわかる。だが、「安心」はあくまで企業から伝えられたリスク情報に対する顧客の主観に基づくものであり、売る側が「安心」を暗示して押し売りするのはいただけない。

 さらに消費者/顧客のリスク認知バイアスを利用し、「安心」を強調して商品を売る手法はすでに社会問題化している。「無添加」を「食の安心」情報として販売するマーケティング手法は、食品添加物が人体にとって有害に違いないとの消費者のリスク誤認を悪用したものだ。たとえば保存料を使用していない加工食品において、むしろ食中毒微生物による汚染リスクが高いことを考えると、「食の安心」を優先して「食の安全」を疎かにした典型事例と言っても過言ではないだろう(無添加食品が必ず食中毒微生物に汚染するという意味ではないので誤解のないように)。本ブログでも当該問題に関して以前解説しているので、ご一読いただきたい:

◎『リスク認識をゆがめる"マーケティング・バイアス"』
[理事長雑感2016年2月17日]
http://www.nposfss.com/blog/marketing_bias.html

 「食の安心」を優先した食品開発により食品ロスの問題も多発している。加工食品の微生物汚染や腐敗を抑えてくれる保存料、日持ち向上剤、殺菌料、防カビ剤、酸化防止剤などの食品添加物は、厚労省の定めた使用基準に基づいて使われている限り、人体への危害性は皆無であり、逆にこれらを適切に使用しなかったことによる食品腐敗により、大量の食品自主回収+廃棄に至るケースもある。また、防カビ剤の有害性を懸念して使用しないことが「食の安心」情報として広告宣伝に使用されている生鮮食品においてカビ汚染が常態化すれば、むしろカビ毒の発がん性の方が大きな健康リスクになるという本末転倒も起こりうる。殺菌料処理が不十分な漬物が市場に流通して、O157による食中毒で死亡事故に発展したケースも、「食の安全」が脅かされた典型例だ。

 食品はわれわれの口に入るものなので、やはり「安全第一」を優先する姿勢が食品事業者全般に要求されるべきと強く思う。昨今、食品の自主回収が多発しているが、異物混入に対する消費者からの苦情が原因で回収判断を迫られた食品事業者においても、「食の安全」が脅かされる可能性=健康危害性+多発性が懸念される場合には、「安全第一」で即刻回収を決断すべきだ。しかし、たとえば虫や毛髪などの混入など危害性/多発性が否定できるケースでは、個別のお客様コミュニケーションで当該顧客の「食の安心」がうまく確保できれば、食品回収を回避できるはずだ。

 ただ、SNSなどネット環境へのクレーム情報の拡散がたった一人の消費者でも可能になってしまったため、お客様への初動対応がうまく機能せず「食の安心」が確保できなかった場合には、食品事業者が自主回収や製造停止などに追い込まれることもある。①顧客の気持ちに寄り添うような謝罪対応ができるか、②異物混入の原因究明/再発防止に関する情報開示が迅速にできるか、などのお客様コミュニケーションが食品事業者にとっての生命線となるため、これら「食の安心」対応は大変重要だ。ここまで「安全第一」ということを述べてきたものの、市民/消費者/顧客の「安心」をないがしろにしろということでは決してない。お客様の「安心/不安」に寄り添えない企業/組織は信用が得られないのは当然だろう。

 筆者の学生時代の話だが、居酒屋で煮込みを注文したところ虫が入っていたので、店員さんに苦情をいれたことがある。店員さんは「申し訳ありません!」と言ってその煮込みを下げたのだが、「替わりをお持ちしました」とまた煮込みをもってきたのだ。「おいおい、同じ鍋の煮込みちゃうの?」と不快に思いながらも友人と笑ったのは、客として自然な感覚だろう。これと同じことで、もし加工食品に虫が混入していたとの苦情が顧客からあったときに、いくら「食の安心」マターとして健康危害性/多発性が否定されたとしても、同じ鍋(ロット)の食品を客に販売し続けるのはけしからんと主張する正義感の強い消費者がいても全く不思議ではないのだ。ちなみに上述の居酒屋のケース、2回目の煮込みにも虫が入っていたというオチがある。やはり食品を客に提供する限りは、それなりの衛生環境を維持しておかないと信用失墜は免れないのだ。

 先月の本ブログで議論した加工食品の原料原産地表示についても、「食の安全」は原料原産地に依存しない(食品の生産・製造・流通などプロセスの品質管理に依存する)ため「食の安心」情報になるわけだが、消費者/顧客にとっては知りたい情報となるため、食品事業者からできるだけ正確な原料原産地情報を誠実にお伝えするのが筋だろう。今回の制度であいまいな表示ルール(可能性表示、大括り表示、中間加工原料の製造地表示など)が決まりそうだが、わかりうる正確な原産地情報を消費者に伝える術はいくつかあるので、食品事業者にはぜひ任意表示で対応して欲しい。

 いま話題となっている東京都豊洲市場移転問題に関しても、都民にとっての関心事は卸売市場で扱われる「生鮮食品のリスク」が許容範囲内(=安全)かどうかであって、リスク評価/リスク管理がきっちりされていれば、都民に対するリスクコミュニケーションは可能なはずだ。地下水からベンゼン・ヒ素などが検出されたことで、卸売市場で扱われる生鮮食品のリスクにどの程度影響があるのか疑問であり、政治的な「食の安心」の問題にすり替えられているのではないかと危惧するところだ。このあたりの「食の安全」と「食の安心」の切り分けをクリアにするため、緊急パネル討論会を開催するのでご関心のある方はご参加いただきたい:

◎緊急パネル討論会『豊洲市場移転に関わる食のリスクコミュニケーション』
 【開催日】2016年12月20日(火)9:30~12:30
 【開催場所】東京大学農学部フードサイエンス棟 中島董一郎記念ホール
 http://www.nposfss.com/cat2/toyosu_1220.html

 以上、今回のブログでは「食の安全」と「食の安心」の明確な切り分けについて考察しました。SFSSでは、食品のリスク管理やリスコミ手法について学術啓発イベントを実施しておりますので、いつでも事務局にお問い合わせください:

 ◎食のリスクコミュニケーション・フォーラム2016 開催速報
 第4回:http://www.nposfss.com/cat9/riscom2016_04.html
 第3回:http://www.nposfss.com/cat9/riscom2016_03.html
 第2回:http://www.nposfss.com/cat9/riscom2016_02.html
 第1回:http://www.nposfss.com/cat9/riscom2016_01.html

 また、当NPOの食の安全・安心の事業活動にご支援いただける皆様は、SFSS入会をご検討ください。(正会員に入会していただくとフォーラム参加費が無料となります)よろしくお願いいたします。

◎SFSS正会員、賛助会員の募集について
 http://www.nposfss.com/sfss.html

(文責:山崎 毅)