
東京大学大学院農学生命科学研究科長・教授
中嶋 康博
1.基本法の検証と改正
制定から四半世紀を経た食料・農業・農村基本法(以下、基本法)の見直しが行われ、2024年5月29日に参議院で改正案が可決した。これまで基本法は「食料の安定供給の確保」「多面的機能の発揮」「農業の持続的な発展」「農村の振興」の4つの基本理念で構成されていたが、そのうち第1の基本理念が「食料の安全保障の確保」に改正され、さらに新たな基本理念「環境と調和のとれた食料システムの確立」が加えられることとなった。以下では今回の改正の核となる食料安全保障をめぐる論点を中心に改正法の意義について紹介する。

2.食料自給率の推移
食料需給表によれば、1960年のカロリーベース食料自給率は約80%であり、現在のほぼ2倍の水準であった。1960年から最新の2022年までの推移を図に示した。食料自給率は、国内消費を分母、国内生産を分子とした比率で把握される。Ⅰ期からⅣ期にかけて、消費の拡大が自給率を引き下げるように作用し、特に60年代から70年代にかけて人口増に伴う消費拡大が大きな要因となっていたが、Ⅱ期には国内生産が落ち込んだため自給率の低下が著しかった。
人口増加がとまり、逆に人口減少局面になっていく90年代後半からは、消費の減少が自給率を引き上げる要因に転じて、Ⅴ期では2000年過ぎの一時期に自給率が40%で維持されていた。しかし80年代後半から続く国内生産の減少が消費減の効果を打ち消すほどとなったため、Ⅵ期になると自給率はじりじりと低下していくこととなった。もしこの時期に国内生産が増加しなくとも、少なくとも1999年での水準を維持し続けたならば、間違いなく自給率は上昇していたのである。
3.輸入状況
自給率が低下していく中で、わが国は食料を海外に大きく依存せざるを得なくなったが、これまで好きなだけ輸入できていた。1960年代から現在までの穀物輸入の推移を確認してみると、この期間の6割以上の年数でわが国の輸入量は世界第一位であった。
ところが、2000年を超えると食料の国際価格は変動するようになった。特に2007年から2008年にかけて食料価格は突然高騰したが、それを境に価格水準は高止まりしたまま推移し、また価格の変動幅も以前よりも大きなものとなった。その穀物価格は2010年代後半に比較的安定していたが、2020年代になると南米・北米の高温乾燥での不作が引き金となって再び動揺し始め、2022年にはロシアによるウクライナ侵攻で国際市場が混乱した。世界の食料事情は、気候変動によると見られる凶作に加えて、地政学的不安定性に大きく左右されることになったのである。しかも長年の経済成長の低迷により、わが国の購買力は低下し続けていて、国際的な買い負けを真剣に懸念しなければならなくなった。これまでと同様に海外に大きく依存し続けることができるのかどうか再検討せざる得ない状況となった。あらためて国内生産と輸入のバランスを再考しなければならない。
4.おわりに
食料自給率の動向を検討する際に触れた通り、多くの期間でカロリーベースでみた国内生産は縮小してきた。実質の農業産出額が減少していて、その背景で労働、資本、土地、農業資材などの投入水準が低下し続けたからである。投入の減少は特に1990年代以降で著しいが、それはこの時期にデフレ下にあったことも影響して農産物の価格が上昇せず、農業の収益率が抑えられたことが大きな要因になっている。ただ、投入の大きな低下ほどには産出は減少していない。それは、この間も技術進歩が維持されていたからである。
人口減少社会を踏まえながら将来情勢も展望すると、国内生産を崩壊させないために、今後も技術進歩が維持されなければならない。改正基本法では新たに「先端的な技術等を活用した生産性の向上(新30条)」を目指すこととなり、基本法の改正とあわせて「スマート農業技術活用促進法」が制定された。そしてこれ以外にも担い手の確保、農業資材の安定的な供給の確保、生産基盤の整備、サービス事業体の推進など、国内生産力の向上に向けた総合的な政策改革が行われた。今後の食料自給力の向上と食料安全保障の確保に期待したい。