
元毎日新聞編集委員
小島正美
◎リスク報道の「ゆがみ」はなぜ、生じるのか、それは改善されるものなのか?
リスクに関する報道は往々にして、危険性や不安を強調したものになりやすい。では、なぜ危険性は増幅されるのか。それはメディア自体の宿命なのか、それとも記者や媒体の努力によって改善できるものなのか。
■「批判的な視点」こそがよい記事
どの新聞社でもそうだが、記者になった新人の段階でたいていの場合、どんなことに対しても「批判的な目(視点)を持って記事を書け。そして、市民の共感を得られる記事を書け」と教えられる。政府の発表記事を記事にする場合も「垂れ流しではなく、記者の視点を入れろ」と諭される。実は、この時点からリスク報道の増幅が始まる。
たとえば、ゲノム編集食品の例を挙げよう。ゲノム編集食品が話題になり始めた2018年~20年ごろ、当時の新聞記事を見ると「消費者が不安」「安全性の審査なし」「予期せぬ遺伝子の変異に懸念」といった見出しが多かった。科学者のコンセンサスは「ゲノム編集は、自然界で起きる突然変異を利用する従来の品種改良と同じ」というものだったが、それをそのまま報じるだけでは記者の視点は入らないし、批判的な目も反映されない。
そこで記者たちはあえてゲノム編集食品に異を唱える少数派の学者を探し出して、批判的なコメントを載せる。そして、不安だと叫ぶ消費者団体や市民活動家の意見を載せる。その結果、それらの批判的なコメントが大きな見出しになり、記事のトーンはネガティブになる。
不思議にも、こうしたリスク報道に登場する消費者はほぼ例外なく、「不安です」と答える消費者だ。「血圧上昇を抑えるゲノム編集トマトに期待したい」という消費者はたくさんいるが、記者たちはそういう消費者の肯定的な声を載せない。記者が記事の中で描く消費者像は常に市民活動家のような消費者である。批判を入れた記事こそが良い記事だからだ。
■遺伝子組み換え作物は常にネガティブ
こういう記者の行動原理は、残留農薬や食品添加物、遺伝子組み換え作物、PFAS(有機フッ素化合物)、原発の処理水などリスクにかかわる報道で頻繁に見られる。遺伝子組み換え(GM)作物は1996年に世界で流通し始めて、今年でちょうど30年になる。GM作物は「農薬の削減」など多くのメリットがあり、現在、世界約30カ国で栽培されているが、私自身の記者経験から言って、この30年間、GM作物のメリットをしっかりと報じた記事(私の毎日新聞の記事と産経新聞の一部記事を除き)を見たことがない。
GM作物に関して、批判的な視点を記事に入れようとすると、どうしてもGM作物に批判的な少数派の学者や消費者団体の意見を聞くことになる。
■媒体の壁
かつて朝日新聞社の記者と一緒に米国のGM作物を見て回ったことがある。その記者は「メリットを書いても、購読者の共感は得られない。そもそも(原稿をチェックする)デスクがメリットを紹介する内容に賛成しない」と言っていた。
これを見て分かるように、記者が属する「媒体の壁」もゆがみの要因だ。記者はどんな記事でも好きなように書けるわけではない。たとえ好きなように書いても、デスクや部長の同意がないと日の目を見ない。たとえば、産経新聞と朝日新聞の論調は対極にあり、政治的な記事はもちろん、リスクに関する記事でも、記者は社の論調に制約される。いや、そもそも記者はどういう内容なら掲載されるかを入社してから実体験を通じて学ぶため、社論に合った内容を書くようになる。社に染まっていく。
仮に優秀な科学者が記者として入社しても、事態は変わらないだろう。なんでも書けそうな週刊誌でも、週刊文春と週刊新潮の論調が全く異なるように、記者の自由度は「媒体の壁」を超えられない。
■「危ない話」は良いニュース
もちろん、記者の専門知識が欠けているという問題もあるだろう。記者がもっと専門家並みに専門知識を生かして記事を書けば、もっと的確なリスク報道が生まれるはずだという見方もある。しかし、もしそうならば、どの新聞社にも優秀な記者はいたはずだから、すばらしいリスク報道が受け継がれてきてもよいはずだが、そういうことは起きていない。農薬や食品添加物などに詳しい記者が科学的な記事を書いても、おそらく「不安や批判的な視点を入れろ」という注文がつくだろう。それがメディアのスタンスだからだ。
メディアにとっては、「危ない話」は良いニュースなのだ。ナフサ不足も、いくら政府が大丈夫といっても、「危ない」と書きたいのがメディアだ。リスク報道は出来事の危ない面しか報じない。だから、一面しか報じないオールドメディア(特に新聞)は読まれなくなるのだが、それに気づいても、リスク報道は変わらないだろう。ニュースをただすファクトチェックはもちろん重要だが、それがメディアのDNAだというリスクリテラシーを身に着けて、ニュースを読んだほうがよいと思う。


