
東京大学大学院農学生命科学研究科 附属食の安全研究センター長・教授
平山 和宏
はじめに
我々は1~2 kg、約100兆個という膨大な細菌と共生している。その大半は腸内に生息しており、1 gのヒト糞便には1011個以上、種類にして500~1000種にも及ぶ細菌がいる。これがいわゆる腸内菌叢である。
これらの細菌は無秩序に定着しているわけではない。生物の分類は、大きい方から門、網、目、科、属、種となっており、細菌には30以上の門が知られているが、ヒトの腸内に常在しているのはそのうちの11門のみで、特にBacteroidota(Bacteroidetes)門、Bacillota(Firmicutes)門、Actinomycetota(Actinobacteria)門、Pseudomonadota(Proteobacteria)門の4門が大きな割合を占めている。ヒトの腸内に定着しているのは、細菌の中でもごく限られたグループと言える。また、腸内菌叢のバランスや菌種構成には大きな個人差があり、それぞれの個人が固有の腸内菌叢を持っているが、それらの腸内細菌が持つ遺伝子の機能に注目してみると、驚くほどその構成が類似している。菌種は異なっても、代謝活性や果たしている役割でみると、個人差は小さい。ヒトと腸内細菌はお互いに適応や選択をし、長い共生の歴史の中でともに進化してきたのである。
腸内細菌の種類と構成
細菌には、酸素があると死滅する偏性嫌気性(嫌気性)菌、酸素が生存に必須な偏性好気性(好気性)菌、酸素の有無にかかわらず生育できる通性嫌気性菌および酸素を必要とするが大気中の酸素濃度よりも低い特定の酸素濃度でのみ生育できる微好気性菌がある。ヒトの腸内は酸素がほとんどない特殊な環境であるために、腸内細菌には嫌気性菌が圧倒的に多い。Bacteroides、Eubacterium、Clostridium、Bifidobacterium(ビフィズス菌)などである。大腸菌のような通性嫌気性菌も存在するが、その名に反して健康なヒトの大腸内には全体の数千分の一から1万分の1以下の菌数でしか存在しない。
腸内菌叢は消化管の部位によって大きく異なる。口腔内には細菌が多く(唾液1 ml当たり約107)存在するが、胃では胃酸の影響で内容物1 g当たり103~105個と激減する。十二指腸では胃酸は中和されるが、胆汁の殺菌作用のために菌数は103/gほどである。小腸上部にも菌は少なく(104/g)、小腸下部から菌数が増加(107/g)しはじめて、大腸で菌数やバリエーションが大きく増加して糞便とほぼ同様の菌叢が形成される。一般に腸内菌叢と言うと、この大腸または糞便の菌叢を指すことが多い。
腸内菌叢の重要性
腸内菌叢は、多彩で活発な代謝活性を持ち、我々の健康に大きな影響を与えている。病原菌や日和見病原菌となってしまう細菌がいる一方で、日和見菌や外来病原菌の増殖を抑制することによって感染症から我々を防御するバリアとして働く。発がん物質や変異原物質、腐敗産物などの有害な物質を生成することもあれば、有害物質を分解・不活化したり吸着して体外に排出したりするものもいる。短鎖脂肪酸やビタミンのようにヒトに有用な物質を生成する菌もいる。
腸内細菌は免疫の成熟や調節にも重要である。免疫機能を活性化して感染防御力を高める一方で、過度な炎症を抑える作用も持つ。消化管局所だけでなく、全身の免疫やアレルギーなどにも重要な影響を与えている。近年では、肥満や糖尿病などへの腸内菌叢の関与も注目されている。さらに、消化管からはるかに離れた脳と腸内菌叢の関連も示されるようになっており、認知機能や精神疾患への影響に関する研究が進められている。
腸内菌叢の制御と健康
このように腸内菌叢は宿主にとって有益にも有害にも働く。従って、腸内菌叢を良好な状態に保つことは我々の健康維持と疾病予防に重要である。腸内菌叢の構成やバランスには明らかな個人差があり、各個人の菌叢は長期にわたって安定に保たれているものの、年齢、便秘や下痢などの腸管の生理状態、食事、薬物、生活環境、ストレス、外来微生物などの様々な要因で変動する。そこで、腸内菌叢を良い状態に保つための努力が必要となる。ストレスのない規則正しい生活、偏りのない適切な食事、適度な運動による生体生理機能の維持、などは腸内菌叢を良好に保つために大事である。腸内の有用菌を増やして有害菌を抑制するために、プロバイオティクスやプレバイオティクスを利用することも有効である。プロバイオティクスは、摂取することにより健康に良い効果が期待できる生きた微生物のことであり、医薬品から食品、飲料など様々な形態のものが商品化されている。プレバイオティクスは、消化管上部で消化・吸収されずに大腸に到達して特定の腸内細菌の栄養となることにより、腸内環境に良い影響を与えるものである。これらを組み合わせたシンバイオティクスという考え方も提唱されている。
ただし、プロバイオティクスやプレバイオティクスの多くは疾患に罹患する前あるいは疾患との境界線上の人を対象としたものであって、疾病の治療を目的としたものではない。多く摂れば摂るほど効果が増すというわけでもない。正しく知って適正に摂取することで、腸内環境を良好に維持することに活用したい。

