科学報道ーその足元を見直す(2022年12月10日)

小出重幸


日本科学技術ジャーナリスト会議理事
小出重幸

現在、メディアが発信する日々の報道・ニュースの多くに、実は”科学”がかかわっている、といったら驚かれるだろうか。
地球環境、AIとネットワーク、自然災害、感染症対策、先進医療、エネルギー、食品安全、安全保障……生活と科学の距離は、急速に狭まっており、一方で、科学的根拠なしに政策決定してきた政府は、追い詰められている。「科学部記者」だけが担当してきた科学報道は、従来のセクションを超え、多くのジャーナリストが向き合わなければならないものに変質してしまった。科学との関わりなしに、私たちの社会そのものが成り立たないことを、最近のメディア状況は示しているのだ。これは同時に、社会との接点なしに研究の世界も成り立たないことを意味する。

科学と社会をつなぐコミュニケーションの現場には、どんなコンフリクトや混乱があるのか、報道の世界から見た課題を俯瞰してみよう。
ネットの利用で多様化するメディアの現場では、「フェークニューズ(虚偽情報発信)」の増加と、これに対する「ファクト・チェック」の試みなど、さまざまな課題や改革が起きている。
ジャーナリズムへのAIの導入(人工頭脳による記事の自動作成)の是非と、ネットデータを駆使して国際的な犯罪や、戦争の責任者を暴き出す「データ・ジャーナリズム」の可能性という、AIの両面を示す現象からも、目が離せない。
またネットサイトの利用で、個人が特定の情報しか入手できなくなり、客観的な情勢の把握や、リスク評価の機会を失わせる「デジタル・プラットフォーム」問題も、社会、政治、国際的な混乱の増幅を予見させる。

こうした大きな課題があるが、フォーラムでは、マスメディアへの向き合い方を学ぶいくつかの基本的なポイントを提示して、討論の手がかりとしてもらった。

1.ニュースとはなにか
報道の原点はニュースにあり、それはまず、「たいへんだあ~!」というメッセージを伝えることにある。
・目立つ、新しい、珍しい、驚く――ことに惹かれる
・社会の向かう方向、新たなトレンドには敏感に反応する
・理屈や論理、よりは情緒や感動を重視する
・正確さよりも速報性を尊重する
・強者、権力よりも、弱者、被支配者の視点に立つ
・「要するに何か」、 「ひとことで言うと」など、結論を急ぐ傾向にある
などの特色を持つ。
その結果、安易に弱者に加担したり、二者対立で世論をあおる、というネガティブな動きにつながる可能性もある。さらに単純な「見出し」、「キャッチフレーズ」を求めるあまり、科学や技術ニュースがおかしな取り上げられ方をすることにもなる。
「ニュースとは何か」を、メディアを利用する人も考え、批判・提言の手がかりにしてもらいたい。

2.「マスコミ」の4文字には”報道”と”娯楽”がある
マスメディアの機能として、報道(Journalism)と、娯楽(Entertainment)の2つの機能があり、両方とも極めて重要だ。ところが、この区別があいまいになると、誤解や社会的混乱の原因となる。報道のようなポーズを取りながら、実態は娯楽の提供……というようなアプローチには警戒が必要だ。
特に日本では、”ワイドショー”など、この境目をあいまいにしたテレビ番組の人気が高く、事実の把握、リスクの把握、方向性の評価を困難にしている。これが、「マスコミ批判」の背景にもなっており、娯楽か報道かの見極めには、視聴者も注意が欠かせない。

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3.報道現場の映像をめぐる”不確定性原理”
2018年に発生した北海道胆振東部地震では、札幌市南東部の「清田地区」の地盤沈下による住宅倒壊、道路陥没などの被害が大きかった。ここ以外の地区の被害は軽微だったが、清田地区の映像が繰り返し伝えられたことから、多くの人が札幌市内全域で大きな被害が発生していると誤解してしまった。
現場を伝える衝撃的な映像は”間違いない事実”だが、被害の軽微な映像は伝えられないため、受け手は被害の実態を誤解してしまう。一方で、被害のない映像をデスクに送っても、それではニュースにはならない。
現場の事実と、視聴者に届く事実の乖離は、災害、事故、パンデミック、戦争など、多くの報道現場で見られる現象だが、この誤差を一定程度には縮小できても、ゼロにはならない。
“報道現場の不確定性理論”とも呼ばれるこの現象に、私たちは留意しておく必要がある。

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