これまで食品添加物やゲノム編集食品など、行政/食品事業者によるリスク評価&リスク管理が極めて高いレベルで確保されている食品中のハザードについて、健康影響があるかのような不安を煽る週刊誌記事等に対してSFSSはファクトチェックを実施してきたが(http://www.nposfss.com/cat3/fact/)、このたび個人による情報発信とはいえ、SNSで大きく拡散している農薬に関する記事について、ファクトチェックを実施したので、以下に報告する。今回ファクトチェックを実施した対象記事は、以下の通りだ:
◎あまねくオーガニック @amaneku_organic
https://twitter.com/amaneku_organic/status/1523588070339387393?s=20&t=DO0Hvpl3twVBR0A_T0iuPg
がんやアレルギーを激増させた「ラウンドアップ」という農薬。
世界中で使用禁止になってるのに何故か日本だけ2017年12月に緩和!
小麦6倍・蕎麦150倍・胡麻200倍になりました本当にありがとうございます。
ラウンドアップはダイオキシン!ベトナム戦争で使われた枯葉剤と同じ成分。
もうダメだこの国。
自称、”SNSのフォロワーが30万人という医療法人理事”(Twitterのフォロワー1.6万人)によりツイートされた記事だが、5月20日時点で1.1万件の「いいね」、4千件以上のRT、リプも多数という状況で、SNSユーザーに対しての情報発信力が無視できないレベルと判断した。もしミスリーディングな食のリスク情報が今後も拡散していくとすると公衆衛生上の大問題なので、本記事においてつぶやかれている疑義言説を3つピックアップし、ファクトチェックを実施した。
なお、SFSSによるファクトチェック運営方針/判定レーティングはこちらをご参照のこと。
また、エビデンスチェックにおいては、農薬に関する文献情報/ニュース記事などをSFSSで網羅的に調査することは困難なので、商品名「ラウンドアップ」に含まれる農薬「グリホサート」のリスク評価ついて、一般財団法人残留農薬研究所・理事長の原田孝則氏に、農薬のリスクに関してもっとも詳しい専門家として取材を行った。原田氏のグリホサートに関するご講演は、SFSSが主催した昨年度の食のリスコミフォーラムでの講演レジュメを参考とされたい。
◎食のリスクコミュニケーション・フォーラム2021 活動報告
<第2回> 2021年6月20日(日)『残留農薬のリスコミのあり方』
『グリホサートのリスク(発がん性)について』 原田 孝則
<原田先生講演レジュメ/PDF:843KB>
<疑義言説1>
“がんやアレルギーを激増させた「ラウンドアップ」という農薬”
➡<ファクトチェック判定> レベル3(事実に反する)
<エビデンスチェック1>
SFSS:“「ラウンドアップ」が、がんやアレルギーを激増させたというような疫学研究データや信頼できる
科学文献はありますか?”
原田氏:“ラウンドアップが1974年に米国で農薬として登録されて以来、多くの疫学的調査研究がなされて
きましたが、「ラウンドアップが、がんやアレルギーを激増させた」ことを裏付ける信頼できるデータや
報告は見当たりません。また、今までに蓄積された膨大なGLP安全性試験データにおいても、がんや
アレルギーの誘発を示唆する所見は認められていません。なお、欧州EFSA/ECHAはグリホサートの
安全性に関する再評価を現在進めており、全GLP試験成績に加え可能な限り幅広く疫学的調査結果
および学術論文等を精査し、その最終報告書を2023年7月に公表する予定である。”
すなわち、農薬のリスクに関する文献情報を網羅的に監視してこられた原田氏によると、現時点で「ラウンドアップ」ががんやアレルギーを激増させたという科学的根拠はみつからないとのことだ。
ではなぜ、このツイートの発信者は科学的根拠不明の情報を拡散してしまったのか。それは米国で起こっている裁判において、「農薬のグリホサートを使用したことでがんになった・・」などという訴えが認められた判決のニュースを目にされて、「ラウンドアップ」の使用とがん発症の因果関係があるものと判断されたのではないか。しかし実際は、この判決がフランスのIARC(国際がん研究機関)によるハザード評価情報(科学的根拠の文献があるかどうかのみを評価したもの)でグループ2a:”probably carcinogenic”と分類したことを、リスク評価情報(当該ハザードの発がんリスクが人体に健康影響を及ぼすかどうかの評価)と裁判官が勘違いしたことによる誤りであった事実をご存知なかったものとう推測する。
そう考えると、当該ツイートの発信者に意図的な虚偽の疑いはないものの、現時点で「ラウンドアップ」ががんやアレルギーを激増させたという事実は存在しないため、<疑義言説1>に対するファクトチェック判定は「事実に反する(レベル3)」となった。
<疑義言説2>
“世界中で使用禁止になっているのに、何故か日本だけ20017年12月に緩和!小麦6倍・藁麦150倍・胡麻200倍になりました”
➡<ファクトチェック判定> レベル2(不正確)
<エビデンスチェック2>
SFSS: “使用されている国のリストはありますか?日本だけが2017年に規制緩和とありますが、事実との
齟齬はないでしょうか?また、規制緩和後に穀物類の残留農薬値が増えた事実はありますか?”
原田氏: “2015年にIARCがグリホサート(商標名ラウンドアップ)をGroup 2Aに分類して以来、使用を禁止あるいは制限する国が増加傾向にあるが、その有効性から依然としてグリホサートの使用を
認めている国は多く150カ国以上に及ぶ(2021年現在AGRI FACT調査)。
また、「日本だけが2017年に規制緩和」とあるが、これは最新の作物残留試験データおよび暴露量
に基づき安全基準値を刷新したもの(*)で、規制緩和には当たらない。なお、作物残留基準値は各国
固有の農耕地で栽培される作物に対し散布される農薬の残留性を考慮し設定されるものであるが、
農地の気候、栽培条件・散布方法や暴露量が異なることから、各国の基準値を比較することに
意味がなく、重要なのはADI以下になるように設定されているか否かである。
「小麦6倍・藁麦150倍・胡麻200倍」という数字も、単に基準値の変更による倍数を示したもので
あり、2017年に国による最新のデータに基づき一部の作物につき残留基準値が刷新されたことは
事実だが、散布方法等は従来通りなので残留農薬の実測値には大きな変化はないものと考えられる。
モニタリングによる実測値は持ち合わせていないが、新基準値に関してもADI以下に設定されて
いるので健康への影響はないものと判断される。”
*(参考情報) 食品健康影響評価(ADIの設定)は食品安全委員会が行うが、残留基準は厚生労働省が薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会農薬・動物用医薬品部会の審議を経て設定する。基準値は常に見直しが行われているが、グリホサートは直近では平成29年(2017年)3月22日に議題になっている。その際の議事録によれば、このときの改訂理由は「農薬取締法に基づく適用拡大申請及びインポートトレランス申請に伴う基準値設定と、暫定基準の見直し」となっており、審議の結果の平成29年5月15日の報告書のp67から現行基準値と新しい基準値案、国際基準が掲載されているので、ご参照いただきたい。 |
IARCのハザード評価による発がん性リスクのグループ分け:Group 2Aをもって、使用禁止や制限をかけた国があることは事実とのことだが、使用を承認した国が昨年時点で150か国におよぶことを考えても「世界中で使用禁止になっているのに・・」はミスリードな発言だ。なおかつ、「何故か日本だけ20017年12月に緩和!」という発言に関しても、グリホサートの残留基準に関する規制値が変更になったことは事実だが、上記原田氏のコメントのとおり、日本での農薬使用環境におけるリスク評価に基づいた変更に過ぎないとのことで、リスクが許容範囲内で安全が確保されているかぎり、「日本だけが規制を緩めている」かのようなコメントには悪意が感じられる。また「小麦6倍・藁麦150倍・胡麻200倍」という表現についても、基準値が変わったことの倍数をもって、いかにも残留農薬自体がこんなに増えたかのようなコメントはミスリーディングだ。
そう考えると、当該ツイートの発信は事実に即した部分も一部認められるものの、全体としては不正確で消費者への誤解を与えるミスリードなため、<疑義言説2>に対するファクトチェック判定は「不正確(レベル2)」となった。なお、必要以上に基準値を下げることで残留基準値違反となった食品が廃棄されることとなり、不必要な食品ロスにもつながるため、健康リスクが十分小さく安全と評価された適正な残留基準値を設定することが、環境リスク低減・SDGs推進にもつながっていることにも考慮すべきだろう。
<疑義言説3>
“ラウンドアップはダイオキシン!ベトナム戦争で使われた枯葉剤と同じ成分”
➡<ファクトチェック判定> レベル4(フェイクニュース)
<エビデンスチェック3>
SFSS: “ラウンドアップにダイオキシンが含まれるという事実があるのでしょうか?”
原田氏:“ベトナム戦争で使用された枯葉剤(Agent Orange)は、主要有効成分である2,4-ジクロロフェノキシ
酢酸(2,4-D)と2,4,5,-トリクロロフェノキシ酢酸(2,4,5-T)の混合剤で、加えて、不純物として
ジペンゾパラダイオキシン類(副産物としてTCDDを生成)も含まれていた。一方、ラウンドアップの
主要有効成分は、グリホサートイソプロピルアミン塩であり、構造的にも枯葉剤とは全く異なる化合物
でダイオキシン類も含まれていない。
この発言については、なぜ「ダイオキシン」や「枯葉剤」の話が登場したのか不明だが、あえて言うなら当該農薬のグリホサートを開発したモンサント社(いまはバイエル社に売却済)の、過去の生物兵器開発経緯に関わる陰謀論情報や書籍を参照された際に、いろいろな情報が混同されたものと推測されるところだ。
そう考えると、ツイート発信者が陰謀論をにおわせるために明らかに事実と反するコメントをされたものとすると、ラウンドアップにダイオキシンが含まれるという事実がないことをわかったうえでの意図的な虚偽の疑いがあるため、<疑義言説3>に対するファクトチェック判定は「フェイクニュース(レベル4)」となった。
<総合考察>
除草剤の「ラウンドアップ(化学物質名:グリホサート)」に関しては、ホームセンターなどでも普通に販売されており、家庭菜園で利用されている市民も多いはずなので、農薬のベネフィットとともに安全性に関しても、しっかり調査している方も多いものと思う。その証拠に、今回問題としてあげたツイートのリプ(返信)欄を参照すると、情報発信者に対して、科学的根拠情報をもとに反論する方々も多数見られることは朗報だ。
農薬自体に高濃度で暴露されれば危険であることは明らかであり、「農薬は健康によくないに決まっている」と直感的に信じてしまう「確証バイアス」に陥る消費者も多いのだが、農薬でも食品添加物でも暴露量が十分小さければ毒にはなりえないことが科学的にわかっている(「毒か安全かは量で決まる(パラケルススの名言)」 )。リスクの大小を評価/管理したうえで、リスクが許容範囲であれば安全との理解を市民の間でくわしく議論すること(リスクコミュニケーション)を推進したいとSFSSでは考えている。
今回のツイートがオーガニックの野菜を推進し、農薬の使用量をできるだけ減らそうという目的をもったものだったかどうかはわからないが、そういった動きに関して、われわれは一律に反対しているわけではない。しかしながら、残留農薬が十分低いレベルの野菜/果物の健康リスクに関して不安を煽るような情報発信は科学的に誤りであり、事実に反する情報は不適切なので、そのような誤情報に対しては今後もファクトチェックを実施していく方針だ。
(初稿:2022年5月21日04:30)
*SFSSファクトチェックの運営方針・判定基準はこちら。
*SFSSの組織概要はこちら
【文責:山崎 毅 info@nposfss.com】