新型コロナウイルス感染症(COVID-19)についてWHOが「パンデミック」を宣言したこと、日本国内でも休校・イベント自粛・テレワークなどの緊急事態措置が実施されても、感染拡大の終息がなかなか見えてこないことなどから、いまだワクチン・治療薬・簡易診断法がない未知の感染症に対して国民の不安は収まらないところだ。
そんな市民の不安に答えるために、NHKが新型コロナウイルスに関するQ&AをWEB掲載しているのだが、そのうちのひとつをご一読いただきたい:
◎「Q&A:新型コロナウイルス対策 あなたの疑問に答えます」
NHK 2020年2月26日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012302901000.html
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Q:キッチン用エタノールは消毒効果ある?
手洗いに使う消毒液の代わりにキッチン用のエタノールを使っても消毒の効果はあるのでしょうか。
A:効果の科学的証明はされていません
エタノールはアルコールの一種で、手や指の消毒に使われる市販の消毒液は濃度が80%程度のものが多くなっています。
日本環境感染学会の菅原えりさ理事によりますと、キッチン用のエタノールは、濃度が50%ほどのものが多く、現時点ではコロナウイルスへの効果があるか、科学的には証明されていないということです。
ただ、身の回りの掃除などで使う場合はエタノールを吹きかけるだけでなく、布で拭き取ることが重要だということで、濃度が50%程度の製品でも、何もしない場合に比べて有効である可能性があるということです。
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これに対して、実際市販のキッチン用エタノールを製造販売しているフマキラー社より、反論のリリースが発信された:
◎「キッチン用エタノール」報道に対する当社見解
NEWS|フマキラー製品情報サイト 2020.03.09
https://fumakilla.jp/news/2050/
以下、フマキラー株式会社の見解からの抜粋:
>「キッチン用エタノールは、疾病の予防を目的としたものではありませんが、少なくとも当社が製造する製品につきましては、新型コロナウイルスと同じ構造を持つネコ腸コロナウイルスへの不活化試験を外部試験機関(一般財団法人北里環境科学センター)にて実施し、その効果を確認しております。従いまして、「キッチン用エタノールのコロナウイルスへの効果は科学的に証明されていない」という主張は、この試験結果とは全く相入れないものです。
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現在、新型コロナウイルスの感染予防に関して市民がいろいろな対策を講じるなかで、手指用のアルコール消毒剤が品薄となっていることを考えると、キッチン用エタノールも効果が期待できるのであれば、その使用を妨げるような学術情報が事実かどうかの検証が必要と考えた。SFSSでは、上記NHKのQ&Aにおいて、以下の言説を対象としてファクトチェック(事実検証)を実施した:
Q:キッチン用エタノールは消毒効果ある?
A:効果の科学的証明はされていません。
キッチン用のエタノールは、濃度が50%ほどのものが多く、現時点ではコロナウイルスへの効果があるか、科学的には証明されていないということです。
なお、SFSSファクトチェックの運営方針・判定基準はこちらで参照されたい。SFSSのファクトチェック運営方針は、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)のファクトチェック・ガイドライン(2019年4月2日改訂)に準拠して作成したものだが、その判定基準(レーティング)についてはFIJガイドラインと若干異なるので、SFSSのファクトチェック判定基準表を以下に示しておく:
<SFSSファクトチェック・判定(レーティング)基準表>
レベル0(正確) | 言説は、科学的根拠が明確な事実に基づいており正確である。 |
レベル1(根拠不明) | 調査の結果、事実かどうかの科学的根拠が見いだせなかった場合。 なお、科学的根拠を示すべき責任は言説の発信者にあるものとする。 |
レベル2(不正確) | 事実に反しているとまでは言えないが、言説の重要な事実関係に ついて科学的根拠に欠けており、不正確な表現がミスリーディングである。 |
レベル3(事実に反する) | 言説は、科学的根拠を欠き事実に反する。 |
レベル4(フェイクニュース) | 言説は事実に反すると同時に、意図的な虚偽の疑いがある。 |
① エビデンスチェック その1
上記の疑義言説のなかで、まずは「濃度50%程度のエタノールはコロナウイルスに対しての消毒効果が科学的に証明されていない」というコメントについて、科学的エビデンスを調査することとした。ウイルス研究者で感染症予防に詳しい麻布大学客員教授の野田衛(のだ・まもる)先生にインタビュー取材した内容は以下のとおりだ:
Q(SFSS):50%以下の濃度のエタノールで、新型コロナウイルスを不活化できるか?
A(野田): 新型コロナウイルスを含むコロナウイルスに対する50%以下の濃度のエタノールでの不活化効果は現時点で不明だが、他のウイルスでは30~50%程度の濃度を長時間作用させることで不活化効果が認められている。従って、条件次第では50%以下の濃度のアルコールでも、コロナウイルスを不活化できる可能性はある。
なお、現時点での科学的エビデンス情報を具体的に箇条書きとしていただいた:
- 新型コロナウイルスを用いてのエタノールの不活化効果に関する報告は見られない。(今後、近いうちに報告されると思われる)
- 新型コロナウイルスと同じコロナウイルス科のウイルスについては、62%エタノール、1分間の作用で、2.7log(マウス肝炎ウイルス)、4log(ブタ伝染性胃腸炎ウイルス)の減少が報告されている。
- コロナウイルス以外の各種のウイルスでは50%以下(30~50%程度)の濃度のエタノールでも不活化効果は報告されている。しかし、作用時間は長くする必要がある(50%で10分~1時間)。
- 消毒剤による不活化効果は、一般に、試験するウイルスの種類と量、作用時間および環境(液体/乾燥、有機物の負荷の有無等)に依存する。
- ㏗を調整したり、アルコール溶液に不活化に有効な成分を加えることで、不活化効果が高まる場合がある。
*いろいろな濃度のエタノールの各種コロナウイルス、ならびに他のウイルスに対する不活化効果のまとめは、以下のとおり:
<各種ウイルスに対するエタノールの不活化効果のまとめ(提供:野田衛先生)>
<エビデンス・チェックその1から導かれる事実検証の結論>
新型コロナウイルスを含むコロナウイルスに対する50%以下の濃度のエタノールでの不活化効果について、直接的科学エビデンスとなる文献情報は確認できてない(2020年3月12日時点)。その意味で、本疑義言説における「現時点で、効果は科学的に証明されていない」という文言は「正確(レベル1)」と言える。ただし、50%以下の濃度のエタノールでも、条件次第ではコロナウイルスを不活化できる可能性があるため、今後の研究報告次第では見解を変更する必要が出てくるかもしれない。
② エビデンスチェック その2
上記の疑義言説のなかで、「キッチン用のエタノールは、濃度が50%ほどのものが多く、現時点ではコロナウイルスへの効果があるか、科学的には証明されていない」というコメントについて、実際市販のキッチン用エタノール製品は、コロナウイルスに対する消毒効果が科学的に証明されていないのか、エビデンスを調査することとした。こちらも野田衛先生(麻布大学客員教授)に、フマキラー社のホームページに掲載されている同社のキッチン用エタノール製品の、コロナウイルスに対する消毒効果のデータについて、科学的証明と言えるものかどうか評価していただいた。
◎当社除菌剤のコロナウイルス科に対する効果を確認
フマキラー株式会社/NEWS/2020.02.28
https://fumakilla.jp/news/2048/
*なお、野田衛先生ならびに本記事筆者の山崎毅は、ともにフマキラー株式会社との利益相反はないことを宣言する。
上記フマキラー社製品のデータに関する野田先生の評価は、以下のとおりだ:
- 現在わが国において消毒剤の微生物不活化試験に関する公定試験法やガイドラインはないため、その評価試験の方法は製造者に任せられている(ガイドライン等の制定が必要)。
- 同社が採用した試験法は、現在我が国で市販されている消毒剤の評価試験としては一般的なものであり、取り立てて問題とすべき点は見当たらない。
- 評価試験は外部検査機関で実施されており、信頼できるデータと評価できる。
- pHを調整したり、エタノール以外に不活化効果が期待できる天然成分を添加するなどで、不活化効果を高める工夫をしている。
上記4点を考察すると、本製品のネコ腸コロナウイルス(Feline enteric coronavirus)に対する不活化効果は認められると評価してよいだろう。
ただし、本評価試験の課題(限界)をあげるとすると、以下の点がある:
- 新型コロナウイルスは主に呼吸器に感染し、ネコ腸コロナウイルスは消化器に感染することや、新型コロナウイルスはべータコロナウイルス属、ネコ腸コロナウイルスはアルファコロナウイルス属に属するウイルスであることなどから、多少性状が異なる。
- 有機物の負荷試験が行われていない。
- 不活化効果は99.9%(3log)以上を見ているが、99.99%(4log)以上の減少が望ましい。
- 用いたウイルス量が十分とは言えない。
- 経時的な不活化の減少が観察されていない。
<総合評価結果>
本評価試験には上述にあげたような限界もいくつかあるが、これらは他の製品における評価試験でもしばしば見られることであり、新型コロナウイルスに対する直接有効なエビデンスではないものの、本製品がコロナウイルスを不活化する可能性を否定するものではない。よって「本製品はコロナウイルスに対して不活化効果が期待できる」程度の表現であれば、科学的に問題ないと考える。
<外部からの情報提供による追記情報>
WHOが推奨している手洗い用のアルコール製剤(水とエタノールまたはイソプロピルアルコールに過酸化水素水とグリセロールを少量加えたもの1)。欧州規範に適合させるためにアルコール濃度とグルセロール濃度が変更された2))のSARSコロナウイルスおよびMERSコロナウイルスを含むエンベロープウイルスに対する不活化効果を調べた論文3)では、エタノール含有のWHO formulation IはSARSコロナウイルスおよびMERSコロナウイルスに対して、試験時のエタノールの濃度が50%以下(約33%)でも約5log程度の不活化効果が認められたと報告されている。
このことや前述の他のウイルスに対するエタノールの不活化効果を見ると、50%以下の濃度のエタノール溶液でも、条件次第でコロナウイルスが不活化される可能性が高いと思われる。
1) WHO: Guide to Local Production: WHO-recommended Handrub Formulations. https://www.who.int/gpsc/5may/Guide_to_Local_Production.pdf
2) Suchomel M, et al.: Modified World Health Organization Hand Rub Formulations Comply with European Efficacy Requirements for Preoperative Surgical Hand Preparations. Infect Control Hosp Epidemiol, 34, 245-250(2013)
3) Siddharta A, et al.: Virucidal Activity of World Health Organization-Recommended Formulations Against Enveloped Viruses, Including Zika, Ebola, and Emerging Coronaviruses. J Infect Dis, 215, 902-906(2017)
<エビデンスチェックその2から導かれる事実検証の結論>
以上の野田衛先生によるフマキラー社製品の評価結果、ならびにWHOが推奨している手洗い用アルコール製剤によるコロナウイルスに対する不活化効果の文献情報により、エタノール製剤(50%以下の濃度)のコロナウイルス全般に対する消毒効果について、配合成分次第で十分な科学的エビデンスがあるとの結論は導き出せるところだ。
そこで、本ファクトチェックの主題である「キッチン用のエタノールは、現時点ではコロナウイルスへの効果があるか、科学的には証明されていない」という疑義言説が事実かどうかという検証の結論は「事実に反する(レベル3)」とすべきであろう。ただし、市販のキッチン用エタノール製品がフマキラー社製や上述のWHO推奨製剤と同等の配合成分とは限らないことを考慮すると、市販のキッチン用エタノール製剤がすべて効果ありとは言えないことは自明だ(それぞれの配合成分次第なので、メーカーに問い合わせていただきたい)。
<ファクトチェックの最終評価判定>
以上、SFSSが2つのエビデンスチェックをもとに詳細に調査した範囲で、「キッチン用のエタノールは、濃度が50%ほどのものが多く、現時点ではコロナウイルスへの効果があるか、科学的には証明されていない」という疑義言説は、科学的エビデンスをもとに事実検証した結果、50%以下の濃度のエタノールに関する文献情報に基づいたエビデンスチェックその1では「正確」、市販の製品データに基づいたエビデンスチェックその2では「事実に反する」となった。
また、総合判定はキッチン用エタノール製剤のコロナウイルスに対する消毒効果に関する科学的評価データが存在することを考慮すると、「不正確(レベル2):事実に反しているとまでは言えないが、言説の重要な事実関係について科学的根拠に欠けており、不正確な表現がミスリーディングである。」との結論になった。
【文責:山崎 毅 info@nposfss.com】
(初稿:2020年3月13日 23:55)
(第2稿:2020年3月18日10:49)