お茶の放射能汚染は心配無用!

[2011年6月30日木曜日]

6月26日(日)に東京大学農学部フードサイエンス棟で開催されました
「食の安全と安心フォーラム シリーズ第3回」で、
当NPO理事長の山崎が話しました内容を少しご紹介いたします。

講演タイトル:「食品の放射能汚染による健康影響のエビデンス」

日本は世界で唯一の核被爆国である。
それでなくとも放射線に対して恐怖感をいだいている市民は多かったことが察せられる。
本年3月11日に発生した東北大震災による福島原発事故がそれに追い討ちをかける形となり、原発から漏出し続ける放射性物質が人々の不安をさらに助長することとなった。

原発事故後、食品を介した放射性物質の健康への影響については、3月17日から厚生労働省が食品衛生法に基づいて原子力安全委員会の定める指標値を暫定的な規制値とし、続いて食品の出荷制限・摂取制限を各都道府県に通知した。
その後、内閣府食品安全委員会で数回の専門委員会を開き、当面この暫定規制値のまま流通を管理することで同意したが、以下の委員長声明および緊急とりまとめ(抜粋)が規制値のあいまいさを物語っている:

「今回の緊急とりまとめは、かなり安全側に立ったものであり、現在行われている管理措置は、安全性を厳しすぎるくらい見込んだものを踏まえているわけです。したがって、市場に出回っている野菜、魚介類等の安全性は十分に確保されるようになっています。議論に携わった専門家からは、水や野菜を十分摂取しないことによる脱水、発がん等の新たなリスクの発生を危惧する意見も出されました」、

「今回は緊急的なとりまめを行ったものであり、今後諮問を受けた内容範囲について継続し食品健康影響評価を行う必要がある」

すなわち、食品安全委員会は今回、可能な限り科学的知見に関する情報を海外からも収集・分析して検討した、としているが、実際は食品の放射性物質汚染による健康影響のヒトでのエビデンスはほとんどなかったというのが事実であり、放射線医学の専門家たちが認めている唯一の疫学データは、チェルノブイリ近郊における放射能汚染された原乳により乳幼児での非致死性甲状腺がんの発症が増えたと疑われるケースのみであった(このデータまでも見かけ上のがん発生率上昇の可能性ありとの見解もある)。

疫学調査で重大な危険性がみつからなかったのに、食品の放射性セシウム濃度の数値が公表されるたびに怯える消費者は「フード・インフォマフィラキシー(食品情報過敏症)」と呼ぶことができるが、その原因の多くは間違った科学情報を発信する側にあると言える。

われわれのカラダの中には常に必須ミネラルとしてのカリウムが100gくらい存在し、そのうちわずかではあるが放射性カリウム40があるとのこと。われわれの体内には常に約3000~4000ベクレルの放射性物質があるというのだ

本当に出荷制限されたお茶やホウレンソウの600ベクレル/kgが人体への悪影響があるとは、とても思えない。
これらの飲食物がむしろメタボやがんなどの生活習慣病の予防によいのに、放射能を怖がるあまり摂取しないとしたら、むしろそちらの悪影響のほうが大きいであろう。

低レベルの自然放射線(年間10mSV強)を浴びている中国の高地に住む人々はがんの発生率が低いらしい。ラジウム温泉とか、放射線はむしろ健康によい話も多い。

大阪大学名誉教授の近藤宗平先生は、著書『人は放射線になぜ弱いか~少しの放射線は心配無用~講談社BB刊』の中で、「放射線はどんなに微量でも毒」というそれまでの定説を科学的に反証した研究者である。

The
Dose Makes
Poison.
(毒か安全かは量で決まる)
~パラケルスス(1533)~

原爆放射線で胎内被曝した子供の「重い精神発達遅れ」の発症を調査した研究で、20ラド(200mSV)以下の被爆では無害であったという。
ところが、チェルノブイリの原発事故では、これよりはるかに微量の被爆だったが、医師その他の勧告により数万の妊娠中絶が事故直後の欧州で行われた。

多くの市民を救うつもりで発信された誤った科学情報が、実際は誰ひとり救ってはおらず、むしろ生まれくる新たな生命や農家の方々の生きる希望を奪っていないか、情報発信者は熟考すべきだ。

広島・長崎の悲惨さを経験した我々日本人は、大量の放射線が人体に与える甚大な影響を知っている。しかし、年間放射線量として100mSV(ミリシーベルト)以下の低レベル放射線に長期被爆しても、人間の遺伝子/細胞は修復する力を持つと信じている。

安全をかなり厳しく見込んだいまの暫定規制値の高いハードルを越えた市場の飲食物は、もちろん安全すぎるくらい安全であるが、出荷制限を受けた青物野菜、お茶、魚介類も、実際は全く健康に悪影響のない飲食物であるということもご理解いただくと、あなたの「フード・インフォマフィラキシー」が治ったということだろう。

ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、
正当に怖がることはなかなかむつかしい。  ~寺田寅彦~

K

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