FAOが突きつける食環境の危機シナリオ(2023年5月20日)

夫馬賢治

ニューラルCEO/信州大学特任教授
夫馬賢治

 「食の安全」には2種類ある。食べても安全な食品かに関する「食品の安全(Food Safety)」と、私たちが生きるためには必要な食料が手に入るかに関する「食料安全保障(Food Security)」の2つだ。日本の行政では、前者は消費者庁、後者は農林水産省が所管している。日本ではこれまで「食品の安全」のみに関心が集まっていたが、近年、食料安全保障への懸念が急速に高まっている。

 国連には「世界食料安全保障委員会(CFS)」という組織ある。国連食糧農業機関(FAO)、国際農業開発基金(IFAD)、世界食糧計画(WFP)などが集い、食料安全保障に関する政策を議論している。そしてCFSは2021年2月、各国政府だけでなく、NGOや企業、農業団体に向け、「食料システム・栄養に関する自主的ガイドライン(VGFSyN)」を策定した。

 VGFSyNは、重要テーマとして、「食品の安全(Food Safety)」、持続可能な食料サプライチェーンの構築、栄養に関する社会の認識の向上、女性エンパワーメントと、民主的なガバナンスの5つを定めている。「食品の安全(Food Safety)」の項目には内容面の目新しさはない。一方、持続可能な食料サプライチェーンに関しては、気候変動と自然資源劣化に警鐘を鳴らすとともに、消費者が効率的に栄養をとっていく必要があることも提唱した。

 この頃から、国連では食料安全保障の議論が沸騰し、2021年だけでも、国連食料システムサミット、東京栄養サミットが開催され、今やG7とG20の主要議題には必ず食料安全保障が入っている。その背景の一つには、国連が発表している栄養不良人口統計がある(図1)。かつて世界は途上国の経済発展とともに栄養不良人口は減少する傾向にあったが、2015年からは増加に転じてしまった。ここ2年ほどは、当然コロナ禍によるロックダウンやサプライチェーン混乱の影響があるが、中長期的には社会紛争と気候変動が二大要因となっている。

 栄養不良の話になると、先進国の日本は関係ないと思われがちだが大間違いだ。日本は食料自給率が低く、日本の食料は海外からの輸入に依存している。すなわち海外で食料安全保障が懸念されれば、各国は自国の食料確保を優先するため、日本には食料が入ってこなくなる。実際に農林水産省が2022年に食料供給に関するリスクマップを公表し、気候変動が日本の食料安全保障を脅かすという分析結果を伝えている。

 では日本の食料システムはどうあるべきなのか。長期的リスクに対処するためのマネジメント手法として知られているのがシナリオ分析だ。シナリオ分析は、マクロ予測データをもとにして、自身の機会とリスクを洗い出そうという手法だ。この手法は、金融当局が大手金融機関を監督するためのストレステストで長年使われてきており、最近では気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)が、企業や金融機関にとっての長期気候変動リスクマネジメントの手法としても採用したことで注目を集めた。

 気候変動のシナリオ分析で多用されているのが、エネルギー分野のシナリオだ。具体的には国際エネルギー機関(IEA)が毎年「世界エネルギー見通し(WEO)」として発表している。だが、残念なことに食料・農業分野には理想を示す気候変動シナリオはまだ存在していない。さらに食料・農業では、気候変動だけでなく、肥料・農薬、水アクセス、廃水マネジメント、家畜排泄物等を含めた生態系・自然資本の予測データも必要になる。企業や金融機関がシナリオ分析を行うには、エネルギーよりも遥かに広範なシナリオが必要となる。

 そこでイギリスに本部を置く機関投資家団体FAIRRは2022年6月、FAOに対しシナリオの作成を要請した。シナリオがあれば、どの企業が優等生で、どの企業には課題があるのかを、機関投資家が評価・分析し、投資意思決定に活かせるからだ。そしてFAOは、実際に2022年11月に気候変動COP27の場で、2023年のCOP28にシナリオを発表すると宣言した。

 FAOが策定するシナリオはどのようなものになるだろうか。実はFAOはすでに6年前から将来予測シナリオの作成を進めており、「食料・農業の未来」3部作として発行してきている。2018年発表の第2部では2050年までのロードマップを提示し、2022年発表の第3部では18の従属変数を特定している。

 そしてその第3部では、18の従属変数を組み合わせ、4つの方向性として整理している(図2)。この図では、環境を横軸、社会厚生を縦軸にとっており、唯一「Trading off for sustainability(TOS)」シナリオだけが、双方の視点で望ましい第一象限にプロットされる。残りの3つは、望ましい結果を産まず、さらに中期的結果を示す点線の四角から、長期的結果を示す実線の四角が左下に移行し、どんどん状態が悪化することが示されている。

 TOSシナリオが描く未来は、一時的な食料価格上昇を受け入れながらも、環境サステナビリティを考慮した食料システムを実現していくという姿だ。当然、社会的弱者には的を絞った資金支援も必要となる。では具体的に企業は何をすべきなのか。その詳細は今年のCOP28で発表される予定だ。

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