リスクアナリシスで考える食品添加物の安全性 (2018年1月22日)

畝山智香子


国立医薬品食品衛生研究所 安全情報部
畝山智香子

○全ての食品や食品成分にはリスクがある

  私たち人間は食品から栄養を摂らなければ生きていけないため、いろいろなものを食べてきました。多くの食品は安全性を確認してから食べられると判断したのではなく、食べて悪いことがおこらなかった経験から食べてきたものです。こうした「食経験」はある程度の安全性確保にはなりますが、有害影響が見逃されていることも多く、現代のような基礎疾患を抱えた高齢者の多い社会での経験は乏しい、など不完全なものです。現在世界中で採用されている食品安全の仕組みである科学の力を生かしたリスクアナリシスでは、全ての食品にリスクがあるという前提のもとで食品由来の病気を減らすための方策を探ります。

○リスクは客観的指標を用いてはかろう

 全ての食品にリスクがあるとはいえ、そのリスクは食品によって多様です。小さなリスクのものと大きなリスクのものとの差は日常的な感覚で捉えられる範囲を遥かに超えて桁が違います。また人間には身近なもののリスクを過小に感じたりするといった認知バイアスが多数あるので、客観的指標(ものさし)を使うことが役にたちます。食品の安全性に関しては、これはいい、これはダメといった単純な判定は不可能で、定量と比較が必要になります。数字は苦手だからと避けることなく、いろいろな指標を用いてリスクの大きさを把握することに馴れる必要があります。そして食品全体のリスクのなかで今問題としているリスクはどのくらいなのかという全体像を常に意識しましょう(図)。

食品リスクのイメージ

○食品添加物は、食材に意図的に加えられるあらゆるものを含む

 「食品添加物」の法律上の定義は国や地域によって違いがありますが、その基本的な性質は「何らかの目的を果たすために食品に意図的に加えられるもの」、です。豆腐のにがりのように調理や加工に必須のものや食品に味や色をつける、貯蔵や輸送中に有害微生物が繁殖して食品がダメになるのを防ぐ、食品を運ぶために入れる容器から食品に移っていくものも含まれる場合があります。つまり「食品添加物を全く使用しない」、ためには農作物を加工するどころか運ぶことも貯蔵することもなくその場で食べる、しかないことになります。現実的には不可能です。
 そして食品に意図的に加えられるものの安全性については、現在の世界での標準的考え方は、長期の動物実験で有害影響が観察されない用量(無毒性量)を決めてそれに安全係数(デフォルトの100)を用いて導出したADI(許容一日摂取量:人が毎日一生涯摂取し続けても、健康への悪影響がないと推定される一日当たりの摂取量)を超えないように使用する、というものです。遺伝毒性や生殖毒性のあるものは使用が認められません。この方法を普通の食品や食品成分にあてはめると、食べられなくなってしまうものがたくさん出てきてしまいます。多くの食品は食品添加物に指定されるために必要な条件を満たすことはできません。つまり食品添加物(必要な安全性試験データが揃っている指定添加物)は安全性においては食品に含まれる成分のエリートといえます。食品の安全性にとっては多くの食品成分は「目指せ食品添加物!」となるわけです。

○食品の安全にとって大事なことは「多様な食品を含むバランスの良い食生活」

 食品にはもともと膨大で多様なリスクがありますが、いくら科学が進歩してもその全てを明らかにすることは到底できそうにありません。食品に含まれる各種化合物を全て同定することは困難です。そういう状況で、リスクを最小限にするための実行可能な方法は「いろいろなものを食べること」でリスクを分散することです。食材は加工・貯蔵・運搬することで多くの人に多様な食品を供給することが可能になります。食品添加物は個々の使用目的というメリットに加えて、流通食品の多様性を増すことによっても食品の安全性向上に寄与していると言えます。

<参考文献>
 ・ほんとうの「食の安全」を考える―ゼロリスクという幻想(DOJIN選書28) 化学同人 (2009/11/30)
 ・「安全な食べもの」ってなんだろう―放射線と食品のリスクを考える 日本評論社(2011/10/22)
 ・「健康食品」のことがよくわかる本 日本評論社(2016/1/12)

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