NPO法人 食の安全と安心を科学する会理事長
山崎 毅
ある食品のリスク情報が社会に蔓延してしまった場合に、該当食品のリスク管理責任者から懸命の主張や解説が必要になった段階では、消費者の心は疑念でいっぱいであり、発信されたリスク情報が信用されない事態となる。この現象を、「リスクコミュニケーションのパラドックス」と呼ぶ※。
この典型例として、2011年の福島原発事故後、それまでの安全神話が崩壊し、政府関係者や東電が何を語っても、市民に聞く耳をもってもらえなくなった事態があげられるであろう。この場合、リスク管理責任者が透明性の向上を目的に、懸命にリスク情報の市民へのコミュニケーションを実施するのだが、「安全」を語れば語るほど疑われるという現象が起こるのである。これは、消費者の「安心」は情報発信者に対する「信頼」が前提となって生まれるものであることがその大きな要因として考えられる。ある食品メーカーが製造販売していた食品で、消費者からのクレームをもとに異物混入の品質不良が発覚し、自主回収を決めたとマスコミで報じられたとしよう。該当する食品を購入してすでに食べてしまった顧客から、食品メーカーのお客様相談室にお電話があり、カンカンに怒っておられる状態のときに、該当商品のいろいろな安全情報をもとにいくら解説しても、おそらくその顧客は言い訳としかとってくれず、なかなか聞く耳をもってくれないであろう。まさに「リスクコミュニケーション・パラドックス」の状態で、この顧客はリスク管理者でありリスク情報発信者でもあるこの食品企業を信頼していないからである。安全を語れば語るほど「蟻地獄」に落ちていく経験をされた方もおられるだろう。ではどうすればよいか?筆者がおすすめするのは、顧客のクレームに抵抗しないこと、まずはご不便をおかけしたことに対して真摯に謝罪し、顧客に共感することが重要と考える。すなわち、いったん自社サイドから顧客サイドに立ち位置を移し、顧客のクレームや問題点に十分共感するところから、少しずつ信頼を取り戻していくのである。「お客様のおっしゃるとおりです。今回はうちの会社が悪かった。本当に申し訳ない。」というお客様への相槌をうつところから、共感できる話題をさがすことで、お客様と心理的に近い立ち位置に立った会話ができなければならない。お客様の気持ちが十分に理解できて共感できると、徐々に信頼が回復してくるはずで、そうなれば蟻地獄から脱出である。そこで初めてリスク情報をわかりやすく説明し、原因究明・再発防止策などの取り組みも詳しく説明すると、お客様の信頼がある程度こちらに向いている状態であれば、ご理解いただける可能性が高くなると考えられる。ネガティブなリスク情報が蔓延して、リスク管理者が信頼を失っている状態の際には、「リスクコミュニケーション・パラドックス」をイメージすることが非常に重要である。これは、行政が消費者やマスメディアに対してリスク情報を発信する場合もしかり、食品事業者が顧客に対してリスク情報を説明する場合でも同様と言える。ポイントは、信頼回復までは消費者の言い分を傾聴する守りの姿勢をつらぬく、ということであろう。攻めの広報活動は、むしろ消費者の疑念を助長するのみであり、控えるべきである。
牛肉のBSE問題が日本中を席巻した際に、農水省と厚労省の大臣がステーキを食べるパーフォーマンスをTV上で展開したことは、まさにこの「リスクコミュニケーション・パラドックス」を理解しない結果、助長された風評被害の典型例であった。
※関谷直也(2011)『「災害」の社会心理』ワニ文庫刊