風評被害はメディアが起こすもの~「安全」「安心」の違いをリスクで考える~

[2021年4月20日火曜日]

“リスクの伝道師”SFSSの山崎です。本ブログではリスクコミュニケーション(リスコミ)のあり方について、毎月1回議論をしておりますが、今回は政府が福島第一原発のトリチウム処理水を海洋放出する方針決定を発表したことを受けて、「風評被害」について考察します。また、このリスコミの問題に関連して、「安全」「安心」の切り分け方についても、リスクの観点から議論したいと思います。

まずは、福島第一原発のトリチウム処理水を海洋放出する方針を決定したとの菅首相の発表を受けてのメディア報道を、以下でご一読いただきたい:

◎【詳報】「漁業者の声に耳を」海洋放出、福島で反対の声
朝日新聞DIGITAL 2021年4月13日

https://digital.asahi.com/articles/ASP4D7SRLP4DULFA028.html

◎「処理水」海洋放出へ 菅首相がコメント
日テレNEWS24 2021/04/13

https://www.news24.jp/articles/2021/04/13/04855436.html

上記の2つのメディア報道を読み比べて、皆さんはどちらの記事の方が「風評被害」を強く感じるだろうか?単純に「風評」という用語自体も、朝日新聞さんの記事では多数登場するのに対して、日テレNEWS24さんの記事では菅首相の動画コメントに1か所登場するだけだ。

市民は、食品のリスク管理責任者(行政+生産者・製造者・流通)より「風評被害が心配だ」「風評被害の対策が必要だ」とメディアで連呼されればされるほど、食品の安全性に疑念をいだくものだ。残念ながら、「福島や宮城の水産物は、風評被害が気の毒だから無理してでも食べよう」という消費者ばかりではなく、「風評被害を懸念?”火のないところに煙はたたない”というから、あえて福島産を食べるのはやめておこう」という消費者も多数あらわれる。

だからこそ、適正なリスクコミュニケーションは容易ではないのだ。

本来、生産者が自分たちの供給する食品の安全性や品質に自信をもっているのであれば、「風評被害」を懸念するはずもなく、実際テレビ報道で、現地の漁業製品を扱っている会社の社長さんがインタビューに答えていたが、「処理水の海洋放出は水産物の安全性に影響を与えないと伺った。当社製品の品質にまったく問題はない」とのこと。「風評被害が懸念されるから絶対反対!」とハイテンションでコメントされる漁業団体の方のメディア報道やグリーンピースの動画と比較して、どちらが本当の復興支援につながるか、答えは自明だろう。

正義感をもって「弱者救済(今回なら福島・宮城の漁業生産者)」をうったえるほうが、大衆から支持されるのは理解できるが、もし安全性にまったく問題ない食品に対して、「風評被害を懸念」とのメディア情報が不特定多数の消費者市民に拡散されれば、それは決して弱者救済にはつながらず、むしろ風評被害を助長して、生産者の経済損失を大きくする。

朝日新聞の記者さんたちは、原発事故由来の処理水を海洋放出すること自体が大きな社会問題であり、それにより発生しうる風評被害も生産者や市民にとっての不安要因なので、これを強調されたいのは理解できる。しかし、「風評被害を懸念」「風評被害の対策が急務」というコメントばかりを切り取って、記事にされるのはいただけない。

「風評被害」の定義は、「本当は安全性に問題のない商品に対して、危険かもしれないというデマ情報/懸念情報を大衆に拡散することで発生する経済損失」である。「風評被害」のほとんどは、口コミや噂ではなく、メディアが起こすものなのだ。

2011年の原発事故後、福島の果物農家がせっかく実った「桃」を売れないからといって廃棄している映像がニュースで流れて、最後にアナウンサーが「風評被害が心配されます」と締めくくっていたのを思い出した。そのとき筆者は「いまのニュース自体が風評被害を助長しているのに・・」とガッカリしたわけだが、逆に適正なリスコミのあり方について、メディアの方々に知っていただきたいと思いを強くしたものだ。

「いやいや、原発由来の処理水(「処理済み汚染水」と呼ぶ?)そのものの安全性に問題があるじゃないか」と反論する記者さんがおられるかもしれない。しかし、それはおかしな反論だ。風評被害の定義は、「本当は安全性に問題ない商品」に関する経済損失であり、安全性に問題があると主張されるなら、それは風評ではない。「風評被害」を強調される時点で、少なくともトリチウム処理水の海洋放出により福島の水産物の安全性/品質に問題のないことをわかっておられるのではないか。

「トリチウム処理水は飲んでも大丈夫」などという失言をしてしまった大臣さんもおられるようだが、すぐに中国政府から「じゃあ、飲んでみたら?」との突っ込みを受けたようだ。「トリチウム処理水」自体を飲むのは安全とは言い難い。海洋放出して十分希釈されるから、リスクが無視できるくらい小さくなり、安全と評価できるのだ。リスクや安全を科学的に語るには、「量の概念」が欠如してはいけない。

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本ブログで何度も強調していることだが、「リスク」と「安全」「安心」を論じる際には、その定義を知ることが重要だ。

「リスク」の意味は「危険」と答える方が少なからずいると思うが、「リスク」とは「いま危険」という意味ではない。ここ50年間津波が来ていないから「危険はない」と思っていたら、津波に襲われて尊い生命が失われる災害が発生した・・という場合に、ずっと危険はなかったけれども「リスク」は思いのほか大きかったということになる。

「リスク」とは「将来の危うさ加減」「やばさ加減」をはかるモノサシであり、不確実性を伴う。大津波・大震災・土砂災害などが明日発生するかどうかは不確実だが、もし万が一災害が発生した時に、どれだけの危険に遭遇するかという「危うさ加減=リスク」は評価が可能であり、地域のハザードマップを作成することで、住民はリスクの大小、すなわち「やばさ加減」を知ることができる。

東日本大震災で津波警報がアナウンスされたときに、釜石東小学校の生徒さんたちは津波被害のリスクが大きな地域にいることを正しく認識し、普段から避難訓練をしていたので、高台に一目散に逃げて九死に一生を得たという。これらはリスクアセスメントとリスクマネジメントが体現できていた典型事例であり、「大津波なんか来るはずない」と思ってリスク管理を怠っていたら、まさかの悲劇に遭遇してしまうのだ。

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このリスクを綿密に評価したうえで、許容可能な水準まで抑えられた状態のことを「安全」という。よく「安全」とは「ゼロリスク」のことだと勘違いする消費者がおられるが、それは誤りだ。残留リスクが許容可能、すなわち「Tolerable(我慢できる)」レベルであれば「安全」と言ってもよいということだ。

企業の顧客対応で「安全」を保障してはいけないなどという指導をされることがあるが、その顧客にとって許容可能なリスクレベルであれば「安全」ですよ、とお答えしてもよいと筆者は考えている。

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「安全」が社会的に許容可能なリスクレベルをもって客観的に評価できるのに対して、「安心」は主観的なものであり、判断する主体の価値観に依存する。だから、人により、状況により、国により、文化により、宗教により異なるものだ。また、「安心」は”信頼する””信じる”という人間の心と強く関係しており、「安心」の反対は「心配」または「不安」となる。

明治大学名誉教授の向殿政男先生が「安心」=「安全」×「信頼」という法則を提唱されており、筆者もこれを強く支持している。すなわち、リスク管理責任者や専門家が客観的リスク評価により「安全」を宣言したとしても、情報発信者が信頼されていない(「信頼」=ゼロ)ならば情報受信者の「安心」はゼロになるということだ。

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リスク管理責任者は決して悪気はないのだが、不都合な健康リスク情報はあえて言わない傾向にある。だがそのリスク情報が隠された状態を、いまの日本の消費者は「組織によるご都合主義の隠ぺい」と捉えるのである。この情報をオープンにすると市民にパニックが起こる、無用な情報で風評被害を起こしたくないなど、結局は自分たちの組織を守るためのリスク情報隠ぺいとして、社会から厳しい非難を受けるのがいまの日本だ。

福島原発事故においても、リスク管理責任者である経済産業省や東京電力が、不都合なリスク情報を隠ぺいし、市民からの信頼を失ったことで、その後の安全情報に関するリスコミがすべて失敗するのは、この「安心=安全×信頼」の法則で説明ができる。いま廃炉に関わっている行政や東電の方々には何の責任もないが、国民に根付いた組織全体への不信感を払しょくするのは厳しいと言わざるをえない。

そう考えると、この度のトリチウム処理水の海洋放出に関しては、2年後に予定されている実際の処理水海洋放出にむけて、モニタリング・データなどの情報開示/透明性を高くするために、信頼できる情報発信者のイメージが強い環境省が、有識者による第三者委員会を設置するのがよいと考える。

また、トリチウム処理水の海洋放出に関して懸念がある、もしくは、その後の水産物の安全性に不安があるいう方もたくさんおられると思う。未曾有の原発事故/放射能汚染に係る処理水なので無理もないところだ。このような不安をお持ちの方々にむけて、我々が開発した「スマート・リスクコミュニケーション」という手法が有効(リスクを冷静にご判断いただける)と考えているので、以下のブログでご一読いただきたい:

◎福島原発のトリチウムを含む処理水~海洋放出のリスクはどの程度?~
山崎 毅(食の安全と安心)2020年10月25日

https://nposfss.com/c-blog/tritium/

本ブログで筆者がずっと訴えていることだが、リスクの大小を専門家が綿密に評価したうえで、社会が許容できる範囲内の小さなリスクであれば「安全」として、市民がこれを回避する必要はないことをリスコミで伝えることになる。その反面、当該リスクが市民や社会にとっての大きなリスクと専門家が評価した場合は、このリスクを回避するための市民向けのリスコミやリスク低減のための公共政策が必要となる。

今回の福島原発由来のトリチウム処理水の場合、海洋放出によりトリチウム濃度が希釈され、リスクが分散される(モニタリングが継続的かつ適正に実施される)ならば、リスクが無視できる=安全と評価できる。逆に処理水の海洋放出を大きなリスクと誤認して、毎日何百トンと発生する処理水を保管するため、原発構内と近隣地域においてタンクを増やし続けることの社会的リスクの方がはるかに大きいと評価すべきだ(リスクのトレードオフ)。

原発由来のトリチウム処理水の海洋放出について、福島や宮城の水産物の安全性に影響を与えるようなリスクにはならないと専門家が評価したとすると、この問題はあくまで「安心」マターということになるので、市民向けの丁寧なリスコミにより、リスクリテラシーをあげていくことが重要だ。対照的に新型コロナ感染症については、市民に健康被害や死亡が起こりうるので、明らかに「安心」マターではなく「安全」マターとなる。すなわち、新型コロナに関しては、より的確な市民向けのリスコミ(ユニバーサルマスク+手洗い+消毒)に加え、リスク低減の公共政策(ワクチン+事業者むけのリスク対策)が必要だろう。

いま大阪を含む近畿圏や東京+首都圏3県において、コロナの感染拡大傾向が続いており、これまでの「まん延防止措置対策」が機能していないようだが、なぜ市民向けのリスコミや事業者向けの公共政策がはまらないのだろうか。東京にむけて1日300万人の市民が移動・通勤しているとのことだが、東京都の新規感染者は1日数百人程度なので、数千人にひとりしか感染していないことになる。そうなると、自分のまわりを見渡しても、ほとんど感染者がいないじゃないか、という状況がずっと続いている市民が大半(99%以上?)ということだ。

それなのに、飲食店が早い時間に閉店になるので、公園やコンビニの前で立ち飲みする若者が増えるのもうなずける。ただ、これらの「確率として自分だけは感染しないだろう」という正常性バイアスにはまった方々は、昼夜をとわずマスクを外して友人たちと会食するので、残念ながら東京でも月に1万人は感染することになる。すなわち、このようなリスクの高い生活様式の方々は、運がわるいと1000人に1人の確率で感染するのだろう。

しかし、上述のように東京-首都圏を毎日移動している300万人のうち、299万人は1か月間感染しないわけだ。そう考えると、小池都知事の言われる「東京に来ないでくれ」というリスコミは、本当に適正なリスコミと言えるのだろうか?より的確な市民向けのリスコミ(ユニバーサルマスク+手洗い+消毒)を飲食業者さんたちとともに周知徹底すれば、山梨県と同様の感染症対策がはまるのではないかと思う。しっかり対策をとる市民は毎日通勤していても10万人に1人しか感染しないけれども、対策のできない市民は100人に1人が感染してしまう、というようなリスコミにとって都合の良い調査データが、なんとかとれないものだろうか・・(リスク学者としての希望)

以上、今回のブログでは、「風評被害」の問題とともに「安全」・「安心」と「リスク」の定義について、再度解説しました。SFSSでは、食の安全・安心にかかわるリスクコミュニケーションのあり方を議論するイベントを継続的に開催しており、どなたでもご参加いただけます(非会員は有料です)。

◎SFSS食のリスクコミュニケーション・フォーラム2021(4回シリーズ)
『withコロナの安全・安心につながるリスコミとは』
第1回テーマ:『ゲノム編集食品のリスコミのあり方』(4/25、Zoom)

http://www.nposfss.com/riscom2021/index.html

【文責:山崎 毅 info@nposfss.com

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