国立競技場が都内で一番安全な場所?!~無観客ならゼロリスクという誤解の弊害~

[2021年7月21日水曜日]

“リスクの伝道師”SFSSの山崎です。本ブログではリスクコミュニケーション(リスコミ)のあり方について、毎回議論をしておりますが、今回は先月に続いて、東京オリパラの無観客開催について考察したいと思います。まずは、東京オリパラの有観客を要望するコメントが出ている、というニュースをご視聴いただきたい:

◎バッハ会長「改善すれば有観客」要請 菅首相と面会時に
朝日新聞デジタル 2021年7月16日
https://digital.asahi.com/articles/ASP7J3GMRP7JUTFK004.html

◎吉田麻也「人生かけて」有観客の意義訴え「もう1度真剣に考えて欲しい」
日刊スポーツ [2021年7月18日7時10分]
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/soccer/news/
202107170001255.html

“「アスリートがこの問題を話すのは難しいけど」と前置きした上で「最後の5分、10分というのは、サポーター、ファンの声援が本当に力になる」と有観客の意義を訴えた。 そして続けた。「選手達も命かけて、人生かけて、この五輪の場に立っている。マイナー競技の選手は、この五輪にかけている。何とかもう1度、真剣に考えて欲しい」と無観客問題について問題提起した。”

バッハ会長はIOC代表というだけで、どこに行っても「空気が読めない」などと非難の的になっているようだが、そもそもの五輪開催の意義を考えると、世界で唯一の被爆国である日本において、世界平和をうたうオリンピック・パラリンピックが開催され、アスリートたちがメダル獲得を目指し全力で戦う姿を、ホスト国の国民がライブで応援することを望むのは当然であろう。

また、日本サッカー代表をリードする吉田麻也選手も、地元ファンの生の応援があってこそ、ホームチームが実力以上の能力を発揮し、メダルに近づくことで国民の生きる勇気を鼓舞したり、世界が平和であることをより実感できる機会になることがわかっているからこそ、あえて「有観客」の価値をうったえたのではないか。国民=サポーター不在の競技場では、誰のための五輪なのか、とまで彼は疑問を投げており深刻だ。

いやいや、IOCのうったえる五輪のビジョンやアスリートとスポーツファンの願いよりも、国民の生命の方が大事に決まっているじゃないか、と主張する専門家の方々やマスメディアだが、これだけアスリートたちやその家族とサポーターたちの一生に一度の価値損失リスクが明らかに大きいのと比較して、本当に無観客開催の方が有観客よりリスクが小さいという科学的根拠はあるのか?

先日開催されたプロ野球オールスターゲームや大相撲名古屋場所でも、かなりの観客を収容して開催されたようだが、クラスターが発生したとは聞かない。それだけではなく、オリンピックの強化試合として、バスケットボールの日本vsフランスも観客をいれて実施され、日本代表は素晴らしいパフォーマンスを発揮したように見えた。これで本番の試合になると、ホームアドバンテージがまったくなしの無観客とは・・スポーツを知らない感染症の専門家たちは、ちゃんとリスク評価したうえで「無観客」を助言したのだろうか。なぜ吉田麻也選手が「もう1度、真剣に考えて欲しい」と訴えたのか、頷けるところだ。

オリンピックは通常のスポーツ観戦とは違うと言われるが、感染症の専門家たちが何の根拠もなしに、それが「感染症の常識だ」「パンデミック下でのオリンピックは普通じゃない」などと、上から目線で言われても、アスリートたちや五輪ファンも納得しないだろう。逆に、先月のブログでもお伝えしたところだが、以下の研究成果をご一読いただきたい:

◎東京オリンピック開会式の感染リスクアセスメントと対策の評価を行う初のシミュ
レーションモデルを開発 ~観客の新型コロナウイルス感染リスク評価を実施~
発表者:村上道夫(福島県立医科大学医学部健康リスクコミュニケーション学講座),et al.

https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00082.html

この研究成果を簡潔に説明すると、東京オリンピックの開会式を有観客で開催したと仮定し、新型コロナ感染症対策をしっかりと施す限り、新規感染者が発生するリスクは無視できるくらい小さい、という試算結果が出たということだ。もちろん、都内の実効再生産数が大きく変わると、結果の数字は変わってくるであろうし、またこの試算結果は、あくまで国立競技場内だけのリスク評価であり、観客の行き帰りや途中での外食等での感染リスクについては評価していないとのことだ。

それゆえ、有観客だと試合前後の人流が大きく増えるから危ないじゃないかと言われるかもしれない。都心で毎日通勤のために移動する市民は約300万人と言われる中で、国立競技場に1万人観客が増えるだけで、人流が極端に増加するとは思えない。それでも人流が増えるのだから、そこにリスクはあるのだ、と専門家が言われるそうだが・・

しかも、上記の研究成果のとおり、リスク対策がなされた国立競技場内は、都内で一番安全な場所だとハザードマップに表示されるのではないか。興奮した五輪ファンでも、礼儀正しく観戦するスタジアム内と、無秩序に燥ぐスポーツバーや友人同士のホームパーティの、どちらの感染リスクが大きいかは自明だろう。

何度も本ブログで繰り返し申し上げているところだが、リスクを綿密に評価したうえで、許容可能な水準まで抑えられた状態のことを「安全」という。よく「安全」とは「ゼロリスク」のことだと勘違いする方が、専門家ですらおられるが、それは誤りだ。残留リスクが許容可能、すなわち「Tolerable(我慢できる)」レベルであれば「安全」と言ってもよいということだ。

東京オリパラなどのイベントはリスクがあるから回避すべきと発言する方は、「ゼロリスクでないと、イベントのせいで誰かが命を落としたらどうするんだ!」と主張されるのだろう。しかし、イベント自体のリスク評価/リスク対策がしっかりできていれば、リスクは許容範囲=安全になるはずで、もしそれでも事故に遭って命を落とした方がおられた場合には、別のリスク、すなわち感染対策の甘さがどこかにあった可能性が高い。イベント自体が感染原因ではなく、市民各人の感染対策の甘さに感染原因が収束するということに気付いてほしい。

これは、食のリスクでいえば、「無添加食品」のほうが安全に決まっている、という消費者のリスク誤認=確証バイアスに非常によく似た心理状態だ。食品添加物がリスクなのだから、無添加でゼロリスクにしたほうが安全とリスク誤認をするのだが、実際は食品添加物を適切に使わなかったことが原因で、食中毒によりヒトが亡くなったりする事故が発生しているのだ。すなわち、添加物の小さなリスクを回避しようとして、より大きなリスクにあたる「リスクのトレードオフ」の典型例と言えるだろう。

東京オリパラも、競技会場での感染予防対策が緊張感をもって徹底されれば、大きな感染クラスターは起こらず、リスクは無視できるほど小さいのに、「有観客」のリスクが大きいと勘違いして「無観客」にすることにより、街中や路上に繰り出す感染対策のできない無秩序な市民や事業者が大きな感染リスクになるということだ。

最後に、やはり苦言を呈するしかないのだが、「無観客」により最も利益を得るのはテレビ局であり、そのテレビに出演して「無観客が常識です」などと叫ぶ専門家の方々が、テレビ局への利益相反(COI)を開示しないのは、道義的に許されるのか。もしここで筆者が考察した通り、「無観客」になっても感染リスクが低減されないわりに、その代償としてアスリートやそのご家族と五輪ファンたちの大きな価値が損失されたとすると、マスコミの責任は重大と言わざるを得ない。

以上、今回のブログでも、東京オリパラにおける無観客開催のリスクについて考察しました。SFSSでは、食の安全・安心にかかわるリスクコミュニケーションのあり方を議論するイベントを継続的に開催しており、どなたでもご参加いただけます(非会員は有料です)。

◎SFSS食のリスクコミュニケーション・フォーラム2021(4回シリーズ)
『withコロナの安全・安心につながるリスコミとは』

http://www.nposfss.com/riscom2021/index.html

◎SFSS食の安全と安心フォーラム㉑
『食物アレルギーのリスク低減を目指して』 開催速報

http://www.nposfss.com/cat9/sfss_forum21.html

【文責:山崎 毅 info@nposfss.com

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