新たな育種技術である「ゲノム編集」により作出されたトマトが国内市場に初登場して話題となっているが、これには昨年ノーベル化学賞を受賞された2人の研究者、エマニュエル・シャルパンティエとジェニファー・ダウドナが開発した「CRISPR-Cas9」という画期的手法が使用されている。遺伝子に関わるニューテクノロジーというと、いま最も関心を集めているCovid-19のワクチンでもハレーションが起こっているようだが、この「ゲノム編集食品」も例外ではないようだ。
今回、すでに国内で販売開始されている「ゲノム編集食品」の安全性に関して、疑問を呈する記事が発表されたので、食の安全・安心に関わる重要案件として、疑義言説を特定したうえでファクトチェックを実施することとした。なお、今回ファクトチェックを実施した対象記事はネット上にも掲載されているので、以下をご参照いただきたい:
◎遺伝子を破壊した野菜や魚『ゲノム編集食品』は安全審査なし、発がん物質の発見も
週刊女性 2021年10月19日号(主婦と生活社、著者:天笠啓祐氏)
https://www.jprime.jp/articles/-/22120
この記事のタイトルだけを見ても、学会や学術雑誌において通常議論される際の専門用語からは遠い印象であり、著者独自のオピニオンかもしれないが、本記事において語られている科学的事実の部分を疑義言説としてピックアップし、ファクトチェックを実施したので以下をご一読いただきたい。なお、SFSSによるファクトチェック運営方針/判定レーティングはこちらをご参照のこと。
<疑義言説1>
「9月15日に、「ゲノム編集食品」としては初めて、高GABAトマトの販売が始まりました。栽培した際の環境への影響、食品になった際の安全性は確認されないままでの販売です。(中略)壊してよい遺伝子はなく、壊すことで意図的に障害や病気をもたらします。また、遺伝子を壊すことで思いがけない毒性を持ったり、アレルギーを生じさせたりする危険性がありますが、このような毒性を評価する研究はこれまでに行われていません。」
<ファクトチェック判定> レベル3(事実に反する)
<エビデンスチェック1>
今回、日本国内で初めて市販されているゲノム編集トマトについて、「栽培した際の環境への影響、食品になった際の安全性は確認されないままでの販売」との疑義言説だが、本当だろうか。「ゲノム編集食品」について国が決めたルールでは、当該品種の開発者・販売責任者が、栽培した場合の環境リスクや食した場合の健康リスクについて評価検討し、国(農林水産省/厚生労働省)に届出することを努力義務としている。
このゲノム編集高GABAトマト:「シシリアンルージュハイギャバ」の種子を生産・販売しているサナテックシード社のホームページのニュース欄に、以下の記事掲載を確認した:
◎サナテックシード社ホームページ(2020.12.11.)https://sanatech-seed.com/ja/qa20201211/
2020年12月11日、私たちは筑波大学と共同開発をしておりましたゲノム編集技術を利用して作出したGABA高蓄積トマトについて、厚生労働省へ届出、また農林水産省へ情報提供書を提出いたしました。→詳細は厚生労働省ホームページをご覧ください。
実際に厚生労働省のホームページにて、サナテックシード社から届出された資料のpdfを確認することが可能(https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000828873.pdf)なのだが、疑義言説のとおり、安全性の確認はされていないのだろうか?また、「遺伝子を壊すことで思いがけない毒性を持ったり、アレルギーを生じさせたりする危険性がありますが、このような毒性を評価する研究はこれまでに行われていません」とあるが、毒性を評価する方法はないのだろうか?
この届出資料によると、「③ゲノム編集技術によるDNAの変化がヒトの健康に悪影響を及ぼす新たなアレルゲンの産生及び既知の毒性物質の増加を生じないことの確認➡確認済み」として、詳しくその安全性が確認された内容について、学術的説明が報告されていることがわかる(詳しい学術報告の内容は実際のpdf資料をご参照されたい)。すなわち、当該ゲノム編集トマトの種子の生産・販売責任者から届出された資料によると、明確に安全性は確認されており、アレルゲンや毒性物質の発現を促進することはないとの科学的証拠が示されており、しかも国の食品安全行政である厚生労働省がこれを受理した、という事実が判明したのだ。
また、環境リスクについては農林水産省に相談の上、上市にたどりついたことを、同社ホームページのFAQにて報告している(https://sanatech-seed.com/ja/faq/):
Q:シシリアンルージュハイギャバは、安全なのでしょうか?環境に影響はないのでしょうか?
A:現在我々が食べたり栽培したりしている作物は、ゲノム配列の変化(変異)により、目的の性質に変わったものを選抜また交配して、野生の植物からより育てやすく、食べられるように作り変えてきたものです。今回弊社が利用しているゲノム編集技術もその品種改良技術の一つであり、標的の配列に変異を導入することができる技術です。国の制度のもと、ゲノム編集技術を用いてできた生物のうち、外部から導入した他の生物の核酸が残っておらず、数塩基の変異を導入した生物については任意の届出や情報提供を行うこととなっています。弊社のゲノム編集技術により作出したGABA高蓄積トマトについても、1年を超える事前相談により、今回の届出や情報提供に当たり、遺伝子組換え生物には当たらないと判断されております。さらにこの事前相談では、安全性や生物多様性への影響について問題ないとされたところであり、科学的に従来の品種改良と同等の安全性が担保されていると判断しています。
食品添加物や農薬のように、安全性を確認するためには動物を使った長期毒性試験をするべきで、それを実施していないなら「安全性を確認済み」とは言えないのではないか、と疑問に思う方もおられるかもしれない。しかし、本ゲノム編集食品中に毒性を評価すべきハザード(特定の化学物質)が従来品種と比較して明確に出現していなければ、動物の生命を犠牲にした長期毒性試験自体が倫理的に認められないのは当然だ(倫理委員会を通らない?)。
また、「壊してよい遺伝子はなく・・」という疑義言説については、従来の育種技術/品種改良においてもランダムな突然変異/遺伝子変化が多数起こっていることは自明であり、もし「壊してよい遺伝子がない」のであれば、従来の品種改良も一切できないことになってしまう。遺伝子は宇宙線などで傷がついたり,それを修復したり,修復ミスが起こったりすることは生物の普通の営みだ。壊してよくない遺伝子がこわれてがんになることもあるし,交配して不都合な働きをする遺伝子が賦活化して役にたつこともあるのだ。この文章は遺伝子の本質を理解しておらず,リスクコミュニケーション上,誤解を招きやすい表現と言えるだろう。
さらに、「・・壊すことで意図的に障害や病気をもたらします」との言説に関しては、標的遺伝子を狙って切断するゲノム編集技術に対して「意図的に」という文言を使ったのであろうが、「意図的に障害や病気をもたらします」というのは、誰が何の目的でそのようなことをするのか、まったく意味不明の文章と評価するしかない。
<疑義言説1に関する事実検証の結論> レベル3(事実に反する)
「ゲノム編集食品」として販売が始まった「高GABAトマト」について「栽培した際の環境への影響、食品になった際の安全性は確認されないままでの販売です」との言説に対して、事実検証を実施したところ、厚生労働省のホームページに販売者からの届出情報が公開されており、明確に健康影響が起こりえないこと、すなわち安全性が確認済みであることが判明した。また、「遺伝子を壊すことで思いがけない毒性を持ったり、アレルギーを生じさせたりする危険性がありますが、このような毒性を評価する研究はこれまでに行われていません」という言説についても、上記の届出情報で毒性を評価済みと読み取れる。さらに「壊してよい遺伝子はなく、壊すことで意図的に障害や病気をもたらします」という言説については、ゲノム編集技術に対する意味不明の指摘で事実に反するものと評価した。よって、疑義言説1に関するファクトチェックの結論は、レベル3(事実に反する)との評価判定となった。
<疑義言説2>
「未知のリスクを考えるうえで参考になるのが、ゲノム編集技術と同じく遺伝子を切断する『RNA干渉法』を用いたジャガイモの例です。この技術は発がん物質や変色を抑制する目的で開発されましたが、結果的に、予想外の発がん物質が生まれたことが開発者の内部告発によって明らかにされています。」
<ファクトチェック判定> レベル2(不正確/ミスリーディング)
<エビデンスチェック2>
まず本疑義言説において「ゲノム編集技術と同じく遺伝子を切断する『RNA干渉法』を用いたジャガイモの例」との記述があるが、そもそもこの『RNA干渉法』を用いたジャガイモというのは、今回上市されたゲノム編集トマトと同じ遺伝子改変技術なのか?
この『RNA干渉法』を用いたジャガイモについて、植物バイオテクノロジーに詳しい大阪府立大学教授の小泉望先生に伺ったところ、以下の回答を得た:
小泉:「『RNA干渉法』を用いたジャガイモは、2017年に厚生労働省が承認した米国シンプロット社の遺伝子組換えポテトのことですね。RNA干渉法とはmRNAを分解させるように遺伝子の断片を導入する技術で、遺伝子の発現を抑制するために使われます。遺伝子そのものに変異を入れるゲノム編集とは異なる技術です。」
SFSS山崎:「なるほど。ではこの記事で語られている「予想外の発がん物質が生まれた・・」とするエピソードのじゃがいもは、そもそも『ゲノム編集食品』ではなく『遺伝子組換え食品』に分類されるということですね?」
小泉:「おっしゃる通りです。」
SFSS山崎:「この記事のタイトル自体に「発がん物質の発見も」とありましたので、『ゲノム編集食品』において新たな発がん物質でも発見されたのかと驚きました。ただ、遺伝子組換えポテトだとしても、『この技術(RNA干渉法)は発がん物質や変色を抑制する目的で開発されましたが、結果的に、予想外の発がん物質が生まれたことが、開発者の内部告発によって明らかにされています』という話が事実なら、それもあまり良い話ではないですね?」
小泉:「その開発者の内部告発という情報については、以下のネット記事に、遺伝子組換えポテトの開発企業(米国シンプロット社)の元社員に取材した内容が掲載されているようですので、このことを言われているのではないでしょうか。」
◎GMO Potato Creator Now Fears Its Impact on Human Health
By Ken Roseboro @EcoWatch Nov. 05, 2018
https://www.ecowatch.com/gmo-potato-simplot-health-fears-2618087647.html
SFSS山崎:「やはり、記事のタイトルから『GMO』=遺伝子組換え作物と記述されており、『ゲノム編集食品』に関するものでないことは明らかですね。ただ、遺伝子組換えポテトのヒトへの健康リスクに関する記事のようですが、本当に『予想外の発がん物質が生まれた』という事実があるのでしょうか?」
小泉:「遺伝子組換えポテトを開発し種子を販売したSimplot Plant Sciences社にて2000年~2013年まで研究開発責任者だったCaius Rommens氏にインタビューしたとありますが、すでに同社を退職された研究者の証言ということで、その信憑性は不明です。シンプロット社の元同僚から聞いた話として、RNA干渉技術(Gene Silencing)を施したじゃがいもではアルファアミノアジピン酸、チラミン、マロニルチャコニンなどの成分が高くなると言っていますね」
SFSS山崎:「それらの成分が『予想外の発がん物質』ということでしょうか?」
小泉:「いえいえ。アルファアミノアジピン酸、チラミン、マロニルチャコニンなどは、もともとじゃがいもやほかの野菜類にも含まれる既知の成分ですので、『予想外』ではないですね。しかも、じゃがいも自体が外部からの微生物や害虫による暴露により含有量は自然に上下すると思いますので、RNA干渉技術によりこれら有害成分が増えたかどうか、実際のデータを見ないと何ともいえませんね」
SFSS山崎:「しかも、2017年に厚生労働省が承認した遺伝子組換えじゃがいも、ということでしたら、食品安全委員会がリスク評価したうえで、そのような有害成分が増えているかどうかチェックしたのではないかと推察しますが、どうなのでしょうか?」
小泉:「おっしゃる通りです。遺伝子を誘導することで、どのような植物生理学的変化が起こるかどうかは予想がつきますので、じゃがいもに含まれる有害成分の含有量は追いかけているはずです。もし万が一、有害成分の含有量が異常に高くなる場合には、遺伝子組換え食品としての承認が却下されるリスクアナリシスの仕組みができています。ちなみに、オーストラリア/ニュージーランドの食品安全行政であるFSANZが、昨年この遺伝子組換えポテトを承認しており、Caius Rommens氏の書籍における上記の懸念について、非遺伝子組換えポテトと明確な差がないと否定していますので、ご参照ください」
◎FSANZ Approval report – Application A1199
Food derived from Innate potato lines V11 & Z6(p8~p10にパブコメへの回答あり)
https://www.foodstandards.gov.au/code/applications/Documents/A1199%20Approval%20report.pdf?csf=1&e=G6kIA
<疑義言説2に関する事実検証の結論> レベル2(不正確/ミスリーディング)
「未知のリスクを考えるうえで参考になるのが、ゲノム編集技術と同じく遺伝子を切断する『RNA干渉法』を用いたジャガイモの例です」との言説に対して事実検証を実施したところ、「『RNA干渉法』を用いたジャガイモ」はゲノム編集食品ではなく、遺伝子組換え食品であることがわかった。また、その遺伝子組換えポテトにおいて「予想外の発がん物質が生まれたことが開発者の内部告発によって明らかにされています」という言説については、疑わしいネット情報をみつけたものの、何ら具体的なデータも示されておらず、元開発者の証言にも信憑性があるものとは読み取れなかった。よって、疑義言説2に関するファクトチェックの結論は、レベル2(不正確/ミスリーディング)との評価判定となった。
今回ファクトチェックの対象とした週刊誌の記事より、疑義言説を2つピックアップして事実検証した結果、疑義言説1はレベル3(事実に反する)、疑義言説2はレベル2(不正確/ミスリーディング)となったわけだが、記事全体のイメージはタイトルで印象が決まるので総合判定については、本記事のタイトル:「遺伝子を破壊した野菜や魚『ゲノム編集食品』は安全審査なし、発がん物質の発見も」を疑義言説の対象として総合的な事実検証を行った。
<総合的エビデンスチェック>
そもそも、今回厚生労働省に届出された『ゲノム編集食品』のトマトやマダイに対して「遺伝子を破壊した」という表現は適切なのだろうか?この記事の筆者自身、「RNA干渉法」を施した遺伝子組換えじゃがいもに対しては「ゲノム編集技術と同じく遺伝子を切断した」と表現しているにもかかわらず、記事のタイトルではあえて「遺伝子を破壊した」などと、遺伝子に何か悪い操作をしたかのような印象操作がされており、『ゲノム編集食品』に対する反対の意思(オピニオン)を感じるところだ。
では、その厚生労働省に届出された『ゲノム編集食品』のトマトやマダイについて「安全審査なし」はどうだろうか。これについては、厚生労働省が個別案件の相談を受けたうえで、「組換えDNA技術応用食品」であるとのカテゴリーに含まれると判定された場合に、内閣府食品安全委員会に安全性審査/健康影響評価の諮問がされるとのことで、厚生労働省の以下のサイトにわかりやすく説明されている:
♦ゲノム編集技術応用食品を適切に理解するための6つのポイント(厚生労働省ホームページ)
https://www.mhlw.go.jp/content/000659592.pdf
そこで今回のゲノム編集技術によるトマトとマダイは、厚生労働省への事前個別相談の段階で「組換えDNA技術応用食品」に該当しないと判定されたため、「安全性審査は免除」との決定がなされ、規制通りの流れに従って、開発/販売事業者による安全性評価データを届出て一般公開したということだ。
遺伝子を切断する操作を加えた『ゲノム編集食品』なのに、なぜ安全性審査をしないのか疑問に思われる方もおられると思うが、今回届出をされたゲノム編集技術によるトマトとマダイの最終産物における遺伝子変化は、従来の突然変異に頼った品種改良における遺伝子変化と何ら変わらないレベルということがその背景にある。また、ゲノム編集技術に使用した「CRISPR-Cas9」が遺伝子に残存したらどうするとか、目的としない遺伝子が切れたらどうするんだ(オフターゲット)という懸念を指摘されることも多いが、そのような種子は選抜しない技術(ヌルセグリガント)が確立しているので、その心配もないということだ。
なぜいま上市されている『ゲノム編集食品』において安全性審査が必要ないかについては、SFSSのブログでも議論しているのでご一読いただきたい:
◎ゲノム編集食品は”高速品種改良”?!~なぜ安全性審査の対象外なのか~
SFSS理事長雑感[2019年4月29日月曜日]
http://www.nposfss.com/blog/genome_edited_food.html
すなわち「『ゲノム編集食品』のトマトやマダイについて安全審査なし」という言説自体については事実であるが、安全審査が免除されるのには科学的かつ合理的な理由があるから、という説明があえてされていないことは、重要な事実の隠蔽ではないか。それだけではなく、今回届出されたゲノム編集食品技術によるトマトやマダイにまったく関係のない「発がん物質の発見も」という文言をタイトルに追記することで、いかにも「発がん物質が生成されたらどうするんだ?」という科学的根拠のないゲノム編集食品の発がんリスクについて暗示しているのは悪質だ。
<記事全体に対するファクトチェックの総合判定> レベル4(フェイクニュース)
本記事のタイトル:「遺伝子を破壊した野菜や魚『ゲノム編集食品』は安全審査なし、発がん物質の発見も」を疑義言説の対象として総合的な事実検証を行った結果、非常に不自然、かつ非科学的な発がんリスクを暗示するタイトルは、意図的な虚偽の疑いが強く、レベル4(フェイクニュース)と評価判定した。
なお、『ゲノム編集技術』の原理ならびにリスク/安全性に関してのわかりやすい動画が、「ゲノム編集育種を考えるネットワーク」より公開されているので、以下のサイトでご参照いただきたい:
◎コミュニケーション用スライド「ゲノム編集技術 - 品種改良に使う新しい技術」
https://genome.t-pirc.tsukuba.ac.jp/communication
*安全性については第3章「食品の安全性編」
(初稿:2021年10月21日14:00)
*SFSSファクトチェックの運営方針・判定基準はこちら。
*SFSSの組織概要はこちら。
【文責:山崎 毅 info@nposfss.com】