公益財団法人食の安全・安心財団理事長・東京大学名誉教授
唐木 英明
消費者アンケートに出てくる不安材料の常連が食品添加物、残留農薬、そして遺伝子組み換え(GM)作物である。GM技術を使用すればさまざまな機能を持つタンパク質を作物に組み込むことができるのだが、GM技術自体を否定する議論は少ない。問題はGM作物に組み込まれた新たなタンパク質がアレルギーやがんなどの悪影響を及ぼさないかである。その安全性試験の目的は、「意図した成分だけがつけ加えられ、意図しない成分ができてはいないか」、「新たに付け加えられた成分に毒性がないか」を検討することである。具体的には、GM作物をそのまま実験動物に食べさせる実験はほとんど行われない。それは作物中の新たな成分が微量であるため、実験動物の餌にGM作物を混ぜる程度では、その成分の影響はほとんど見られないという「感度の悪さ」のためである。そこで新たな成分を抽出してインビトロ試験が行われる。そのような試験により安全性が確認されたものだけが商業栽培され、過去20年近く問題は起こらず、安全性試験の正しさが証明されている。
ところが2012年にフランス・カーン大学のセラリーニらが、GMトウモロコシを生涯ラットに食べさせるとがんが増えたという論文をFood and Chemical Toxicologyに発表した。そこに掲載された巨大な乳がんを持つラットのカラー写真のインパクトが強く、一部のメディアや反GM団体がこれを大きく取り上げた。しかし、これまでの多くの研究で、すでに繰り返し安全性が証明されているGMトウモロコシに、今さら、がんを増やす作用が見つかる可能性はなく、多くの専門家がこの論文の内容を検討し、実験に使ったラットが元々がんになりやすい種類だったことなど、実験の方法にも結果の解釈にも問題があり、その結論は間違いであることを指摘した。その結果Food and Chemical Toxicologyは、実験データに改変・ねつ造などの不正はなかったが、実験例数が不足し、不適切な実験動物が使われたという理由で、この論文を取り消し処分にした。ところが、別の雑誌Environmental Sciences Europeが問題の論文を再び掲載し、セラリーニは取り消し処分がGMトウモロコシの発売元モンサント社の圧力によるものだとコメントした。さすがにメディアはこの出来事を取り上げなかったが、反GM団体は盛り上がっている。
科学とは仮説と検証の繰り返しにより不確実性を小さくする作業だ。セラリーニの「GMトウモロコシは危険」という仮説は多くの検証によりすでに否定されているのだが、セラリーニはその事実を無視した。さらに、論文の不備を見抜くために科学雑誌には査読制度があるのだが、これが機能しなかった。論文発表後の多くの科学者による検証の結果、論文の不備が明らかにされたが、これらの経緯は残念ながら「反GMという信念のために科学を捻じ曲げる」非科学的な人たちの存在を示唆する。科学は事実の積み重ねであり、STAP細胞の例を出すまでもなく、これまでの検証の蓄積と相反する結果が現れたときには、それを面白がるのではなく、細心の注意を払って取り扱うことが必要である。