正常性バイアス:「まさか自分が死亡リスクに当たるとは」~リスコミ失敗の一因はリスク認知バイアスにあり~

[2018年7月18日水曜日]

この度の西日本豪雨災害により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々に謹んでお悔やみ申し上げます。また、被災された多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。本ブログでは、毎月食の安全・安心に係るリスクコミュニケーション(リスコミ)のあり方を議論しておりますが、今月はこの西日本豪雨災害においても認められた健康被害リスクの伝え方の難しさについて、「食の安全」のリスコミにも通ずるところがあるので、社会心理学的な原因分析を試みたいと思います。

今回の西日本豪雨災害において、被災された方々のコメントに以下のようなものがあった:

 「これまでこんな土砂災害が起ったことはなく、大丈夫だと思った。」
「避難指示が出ていたが、まさか自分が本当に被災するとは・・」
「河川が氾濫したが、二階にいれば大丈夫だと思った」

これらのコメントを発した被災住民たちは大きな死亡リスクに曝されていたものと推測されるが、社会心理学でいう「リスク認知バイアス」が原因でその死亡リスクを小さいものと見積もってしまったことになる。このような「認知バイアス(cognitive bias)」を「正常性バイアス(normalcy bias)」または「楽観バイアス」といい、その定義は以下のサイトでご参照いただきたい:

・正常性バイアス - ウィキペディア

正常性バイアス

すなわち、「正常性バイアス」とは社会心理学・災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」とも言う。

今回、西日本豪雨で4分の1が冠水した岡山県倉敷市真備町地区は想定される浸水区域や避難場所をまとめた「洪水・土砂災害ハザードマップ」を2016年に作製していた。今回浸水した区域と予測した区域はほぼ同じで想定内だったが、多数の犠牲者が出た。「見たことがない」という住民もおり、市からは「繰り返し確認を促すべきだった」との声も出ている、との報道があった。

◎「危険地図」生かせず 浸水区域は”想定内” 倉敷・真備町
日本経済新聞 (2018.7.11.)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32872140R10C18A7CC1000/

この報道記事でも住民のインタビュー・コメントとして、「昔から堤防が決壊したら民家の2階まで浸水すると言われていたが、まさか本当に起こるとは……」「6日の避難指示の放送も聞いており、隣人も避難する車に同乗するよう声を掛けてくれたが、こんなに水が来るとは思わんかった」などとしており、結局避難しなかった高齢者は、2階に取り残されていたところを消防隊員にボートで救助され、「甘かった」と反省したとのこと。まさに、典型的な「正常性バイアス」にはまって、災害リスクを回避できなかった事故事例と言えるだろう。

このような災害リスク/死亡リスクが大きくなった状況において、ハザードマップによるリスク評価が綿密に行われていたとすると、とくに災害に遭うリスクが大きい地域はすでに特定されており、当該地域住民に対するリスコミが適切に実施できるかどうかが自治体の危機管理対策の最重要ポイントとなる。その際に、住民の危機意識の中にこの「正常性バイアス」があることを考慮しなければならないが、なかなか社会心理学的な「認知バイアス」を踏まえたリスコミのあり方を検討した自治体があったかどうかは疑問だ。

とくに「避難準備」「避難勧告」「避難指示」という自治体から地域住民に対しての形式的・表面的なリスコミが、携帯などを通じて何度も繰り返し地域別に発信されたようだが、これでは住民の「正常性バイアス」はより助長されてしまった可能性が高い。すなわち何度も「避難」を呼びかけられたが「結局いまだ災害は発生していないじゃないか」「本当に避難する必要があるのか」「避難場所に行った方が不自由になるので行きたくない」などの意識がめばえて、地域住民の意識に「正常化バイアス」が定着してしまうのであろう。「避難指示」とは、すでに地域住民が避難を完了していることを想定したものだったとのことだが、この「避難指示」は一体どのくらいの災害リスクと評価した場合に発出されるものなのか、おそらく地域住民へのわかりやすい説明がなされていなかったのではないか。

たとえば、【①ハザードマップによる特定地域の災害リスクレベル】と【②気象庁による降雨量予測による比較的広域の災害リスクレベル】をともに綿密に評価したうえで、もし①×②のリスクレベルが過去に起こったことがないくらいハイリスクであったなら、「死亡事故の発生リスクが50%超!」などという具体的な評価結果を当該地域住民にぶつけることが有効ではないか。「避難勧告」「避難指示」ではいかにもインパクトが弱く、切迫感が住民に伝わらないのだ。実際、東日本大震災の際に、ある町の町長さんが「緊急避難命令!」を発出して広く避難を呼びかけたことで、多くの地域住民の生命が救われたという話があるが、やはりそのくらいの迫力をもって、目の前に迫った死亡リスクを地域住民に伝えなければ、「正常化バイアス」の壁を打ち破ることは困難なのだろう。

やはり災害時のリスコミのポイントとして、「とにかく逃げなさい」では説得力が弱く、なぜ急いで逃げないといけないかを瞬時に理解してもらえるような、わかりやすいリスコミ手法が問われるのだろう。リスコミは説得しようとして力が入れば入るほど失敗するのだが、リスクの大きさがどの程度なのかを理解してもらおうとすると成功する可能性が高くなる。すなわち今回の災害リスクであれば、①と②のリスク評価がこれまでになく大きいということが理解できれば、「この地域は過去に一度も土砂災害や大水害が起こったことがないから、きっと避難しなくても大丈夫」という「正常性バイアス」が打破できるので、当該地域住民がリスク評価をしっかり理解したうえで、素直に避難に応じてくれる方が増えるのではないか。

理解度をあげてもらうためには、地域住民へのリスク教育もあらかじめ必要だろう。リスクとは「将来起こりうる危うさの度合い」をいうのであって、これまで事故が起こったかどうかはある意味関係ないと考えるべきだ。リスクを綿密に評価したうえで、健康被害リスクが思いのほか大きい場合には過去実績に関係なくこれを回避すべきなのだ。

災害リスク以外でも、たとえば自転車で赤信号を無視して交差点に突っ込んだところ、たまたま猛スピードで走ってきたトラックに轢かれ即死というようなケースにおいて、「死人に口なし」なのだが、亡くなった犠牲者はきっと言うだろう:「いままで赤信号で突っ込んでも、一度も車に追突したことはなかった。まさか自分が死亡リスクに当たるとは・・」おそらくこの「正常性バイアス」のせいで、死亡リスクを見誤り、交通事故で亡くなった方がこれまでいったい何人いることだろう。それもすべて自転車の利用者に対して、道路交通法を通じたリスク教育がほとんどされていないことが原因ではないか。「交差点で赤信号を無視したらダメ」というだけではリスコミは成功しない。自転車で赤信号を無視したらこんな悲惨な死亡事故に遭うんだよという写真や統計データを示して、死亡リスクの大きさを合理的に理解してもらうことこそ適切なリスコミ手法と言えるだろう。

実はこの「正常性バイアス」、「食の安全」に係るリスコミにおいても、よく障害となる社会心理学的現象のひとつだ。たとえば、フレンチレストランにおいて話題のジビエ料理だとして、鹿肉のステーキがメインで登場したとしよう。いかにもレアで赤々としたステーキだったときに、「まさかこんな高級料理店で食中毒など起こるはずがない」として美味な鹿肉の魅力に負けて、もしE型肝炎ウイルスに汚染した肉を食してしまうと、目の前の大きな死亡リスクに直面することになるのだ。これは確定的死亡リスクであって、将来がんになるかもしれないといった確率的死亡リスクではないから、より深刻だ。

高級温泉旅館で鳥刺しを食べてカンピロバクターによる食中毒に当たる、生ガキを知り合いからもらって食べてノロウイルスに当たる、なども、同じような「まさかないだろう・・」という「正常性バイアス」にはまって、実害の出る「食のリスク」に暴露される典型事例と言えよう。SFSSでは、これら「食の安全」においてもっとも重要なリスクのひとつ「食の微生物汚染」をテーマとしたフォーラムを開催するので、「本当の食のリスク」に関する理解度向上のためにもぜひご参加いただきたい:

◎食の安全と安心フォーラム15@東大農学部
『食の微生物汚染:リスク低減のポイントを議論する』(2018.7/25)

http://www.nposfss.com/forum15/index.html

なお蛇足ではあるが、綿密なリスク評価の結果、生涯にわたって毎日食べ続けても毒性が発現しないような微量の食品添加物に対して、これらを「食べてはいけない」などと主張している怪しい専門家たちは、綿密なリスク管理のもと作成されたハザードマップで、土砂災害も水害も起こりえないとしたエリアの地域住民に対して避難指示を出しているようなものだと言いたい。本当に回避すべき食のリスクは、実際に健康被害が起こりうる「食の安全」に係るハザード(微生物汚染・アレルゲンなど)であって、食品添加物・残留農薬・遺伝子組み換え作物・放射能汚染・原料原産地などの「食の安心」に係るハザードは、健康被害の起こりえない無視できるレベルのリスクであると理解していただきたいところだ。

以上、今回のブログでは食品以外のリスコミも含めて、その障害となる「正常性バイアス」の問題について詳しく考察しました。SFSSでは、食の安全・安心にかかわるリスクコミュニケーションの学術啓発イベントを実施しておりますので、SFSSホームページにてご参照ください:

◎食のリスクコミュニケーション・フォーラム第3回(2018/8/26)@東大農学部
第3回テーマ:『原料・原産地のリスコミのあり方 』

http://www.nposfss.com/riscom2018/index.html

【文責:山崎 毅 info@nposfss.com

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